翻訳 家 関 美和。 関美和(翻訳家)の経歴や年齢と大学は?離婚と子供や45歳で法学部入学?

『誰が音楽をタダにした? 巨大産業をぶっ潰した男たち』訳者・関 美和さん|本を読んで、会いたくなって。

翻訳 家 関 美和

これまでにない概念やサービスの翻訳では特に、専門家でない一般の読者がさくさく読めるように、同時にその道に詳しい人たちに違和感のない言葉遣いになるように心掛けています。 日本の読者にはわかりにくい部分があれば、なるべくイメージが沸くように多少翻訳で補うことはあります。 思い込みを排除して事実を直視することの重要性 とはいえ、「日本人だからこう」とか「日本独特の~」といった表現を聞くと、違和感を覚えます。 私自身の限られた経験からは、国や文化が違ったとしても、そこで暮らす人間は似ているところの方が多いと思っています。 まさに我が意を得たりという趣の本でした。 例えば、「先進国」「途上国」という表現をよく見聞きしますけど、そうやって世界を「わたしたち」と「あの人たち」の2つに分断するのはおかしいとロスリングは言っています。 なぜなら、世界はグラデーションになっていて、中間にいる人の方が多いからです。 そして、所得レベルによって分類する方が、世界をよりありのままに見られると説いています。 生活習慣や価値観の相違をもたらすのは、所得レベルの差 人々の生活スタイルや習慣の違いは、文化や宗教の違いでなく、所得の違いによるものが大きいというのがロスリングの主張です。 特定の所得層に属する人は国や地域や文化や宗教が違っても、生活習慣はほぼ同じだと言うのです。 そして、宗教や文化が違うから、「あの人たちは自分たちと違う」という考えはおそらく間違っているし、危険だとも言っています。 こうした主張を裏付ける事例が『FACTFULNESS』には豊富に挙げられています。 例えば、公衆衛生の専門家であるロスリングがスウェーデンの医学生を連れてインド・ケーララ州の病院で研修を行ったときのこと。 エレベーターに乗り遅れた仲間のため、先に乗り込んでいた学生が足を挟んでドアを開けておこうとしました。 日本でもよくある光景ですよね。 エレベーターにはセンサーがついていて、異物があればドアは閉まらず、もちろん上昇も下降もしないはずというのが、所得レベルの高い国の〝常識〟だからです。 ところがインドのエレベーターは違いました。 学生の足を挟んだまま、ドアが閉まり続けたんです。 インド人の先生が緊急ボタンを押して止めたけれども、学生は足をケガしてしまいました。 「あんな間抜けな学生がよく医学部に入れたものだ」とインド人の先生はあきれたものの、もちろんその学生は間抜けではなく、ただエレベーターを使うときの習慣が世界中どこでも通用すると思い込んでしまっただけなのです。 生活習慣や行動様式、ものの考え方などの相違をもたらすものは、国や文化の違いだと多くの人は考えがちですけど、そうではなくて所得の違い、あるいは社会の発展段階の違いによるものだというロスリングの主張にはとても説得力があります。 そして、文化は変わるし、社会も変わるという彼の話は前向きで、癒しにもなります。 『FACTFULNESS』には、ロスリングがバングラデシュのアジア女子大学で講義を行ったときのエピソードも書かれています。 400人の女子学生に向けて、女性が教育を受けることで夫婦関係は対等になり、出産する子どもの数も適切に制限され、きちんとした養育も可能になる。 貧困から抜け出すことは可能だし、文化は必ず変わるのだと、女性たちを力づけたのです。 これは偶然ですが、実は私はアジア女子大学支援財団の理事をしています。 バングラデシュは今でこそ生活レベルが上がってきましたけど、かつてはアジアの最貧国でした。 そこで高等教育の機会のない女性たちに、英語で欧米並みのリベラルアーツの教育を施す機関を作りたいという想いに共感して、大学設立時から今までずっとファンドレイズのお手伝いをしてきたんです。 アジア女子大学の学生はみんな、家族の中やその地域で初めて大学教育を受ける女性で、ほぼ全員が全額給付型の奨学金で学んでいます。 私の主な仕事はその奨学金を集めることで、賛同いただける日本企業や個人に協力をお願いしています。 アジア女子大学は2018年に創立10周年を迎え、今はバングラデシュだけでなく、ミャンマー、カンボジア、ネパール、スリランカ、アフガニスタンなどから集まった、500人を超える学生が学んでいます。 最近ではロヒンギャの難民キャンプやシリアから来る学生もいます。 私がアメリカで高等教育を受け、経済的に自立できたのは、私が頑張ったからでも優秀だったからでもありません。 たまたま運に恵まれたからです。 たまたま受けた運なので、たまたま運に恵まれない人たちに少しでもお返しできたらいいなと思っています。 何が自分を幸せにするか、じっくりと考えてみる 勤めていた投資顧問会社を辞めたことで、好きな翻訳の道に進むことができたし、アジア女子大学の支援のような社会性の高い活動、自分の関心のある活動により多くの時間を割けるようにもなりました。 会社を辞めて好きなことや興味のあることを仕事にしたいけれども、組織を飛び出すことに不安や恐れを感じて、なかなか一歩を踏み出せない人もいるかもしれません。 『イノベーションのジレンマ』などの著作を通して破壊的イノベーションを世に知らしめた、ハーバード・ビジネス・スクールのクレイトン・クリステンセンという経営学者はこう言っています。 1つ、あなたの幸せの源泉が何かをよく考えなさい。 2つ、今見返りのあることではなく、30年先、50年先に見返りを得られることに投資しなさい。 3つ、牢屋に入るな(笑)。 みなさんそれぞれに何が自分を幸せにするかを、時間をとって考えてみるといいと思います。 私も未だに考えています。 牢屋に入らないこと、という教えは極端なようで、それほど極端ではないかもしれません。 人はいきなり悪人になるわけではなく、ほんの少しずつ境界線がわからなくなっていくものです。 不幸になろうと思って人生を送る人はいないし、犯罪者になろうと思って生きる人もいないと思います。 でも、少しづつ、少しづつ、方向がずれていって、気づいたら後戻りできなくなってしまう可能性は、どんな人にもあると思います。 今目の前にある果実でなく、自分が30年先、50年先にどんな果実を収穫したいかを考えながら、今の時間を過ごしてみることで、牢屋に入らずにすむかもしれませんね。 私はさすがに50年先は死んでいると思うので、20年くらい先を見て頑張っていきたいです(笑)。 目先の課題としてあるのは、どこまで翻訳のスピードを上げられるかということ。 今はフルタイムで大学の教員をしながら、年間5冊から6冊ほど翻訳しています。 ペースが速いと驚かれる方もいるんですけど、日本語の本なら2~3時間あれば一冊読めますからね。 読む速度で翻訳できれば1年に300冊くらい翻訳できてもおかしくない(笑)。 だから、もっとできるんじゃないかと思って挑戦しています。 WEB限定コンテンツ (2018. 20 三鷹市の杏林大学 井の頭キャンパスにて取材) text: Yoshie Kaneko photo: Kazuhiro Shiraishi.

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関美和が離婚から立ち直った理由はタクシー運転手!子育て法に共感の声|のんびりWORLD

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リンク 翻訳家の前には、広告代理店や外資系の投資顧問会社でファンドマネジャーなどを務めており、少し充電するつもりで翻訳活動を始めたといいます。 広告代理店に勤めていた頃に 交通事故に遭ったことがきっかけで、好きなことをして働くことになったそうです。 交通事故の経験を乗り越えて人生が変わったなんて、すごいですよね! 好きなことを仕事にできて順風満帆だった関美和さんに、またある出来事が起こってしまいます。 関美和さんは30歳の頃に結婚をしていたのですが、翻訳の仕事を始めて間もない 45歳の頃、突然離婚することになったのです。 急に2人の子供を抱える シングルマザーになったことで生活も一変し、どん底になってしまったそうです。 関美和の子育て方法は放任主義? 関美和さんは、長男「慶さん」と長女「薫さん」の2人のお子さんがいらっしゃいます。 長男の「慶さん」は中学2年生の頃からアメリカの高校に通っていて、離婚のこともあまり知らなかったそうです。 翻訳家の関美和さんですが、2人の子供を育てるにあたって子供に あえて英語を教えず、あまり成績はよくなかったが「勉強しなさい」と言ったことはないそうです。 勉強を嫌いにならないようにだけしておけば、いつか目覚める時が来るだろうと信じて放任し、待つだけだったといいます。 ただ、 出来たことだけ褒めるようにしたそうです。 やりなさいと強制されるよりも、自分がやりたいと思った時に自発的に動いた方が身に付きますし、できたことを褒められると嬉しくて長所が伸びていきますよね。 子供を信じて待つことって、なかなかできることではないし、素敵な子育て方法だと思います!.

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関美和(翻訳家)の夫や子供、兄や父、家族について!教育方法は?

翻訳 家 関 美和

翻訳家になる前は投資顧問会社でファンドマネジャーとして働いていて、海外の大学でMBAも取得しました。 主人公はグローバル展開する投資顧問会社でファンドマネジャーを務める35歳の女性です。 2人の子育てを巡るドタバタ、夫との軋轢、多忙でストレスの多い仕事を続けることの迷いや葛藤などが、軽妙なタッチで描かれているのですが、それがまるで我がことのようなんですよ。 仕事内容もポジションも私と同じで、年齢もほぼ一緒。 日々のてんやわんやもそっくりで、作者はどこかで私のことを見ていたのかと思うくらい(笑)。 面白くて一気に読み終えました。 それまでも英語の本はたくさん読んでいたけれども、この本は別格でしたね。 物語の世界にのめり込んだ挙句、この本をどうしても訳したいという欲望が湧いたんです。 思えばそれが翻訳魂に火がついた瞬間だったのかもしれません。 そこで著者にメールして訳させてほしいと直談判したのですが、日本語訳の版権はすでに売ったとのこと。 翻訳に携わりたい一心で出版社へ売り込み でも気持ち的には翻訳をしたいというモードのままで、こうなったら他の本でもいいので翻訳に携わりたいと、出版社や版権エージェントにプロフィールを送って売り込みをかけました。 運よくいくつかの会社から声をかけていただいて、出版候補となっている本を読んで要約するリーディングという作業をさせてもらうことになりました。 リーディングを何冊か続けるうちに、その中の1冊を翻訳させてもらえることになったんです。 リーディング作業を続けていたころ、2007年に投資顧問会社は辞めました。 このころはまだ翻訳を仕事にするつもりはなかったし、先行きがどうなるかもわからなかったけれども、少しお休みをいただこうかなと思ったんですね。 自分はファンドマネジャーとしても金融人としてもヘボで、ただ業界の中で生き残っているだけという自覚がありました。 それほど高いモチベーションを抱いていたわけではなかったので、金融業界を離れることに躊躇はありませんでした。 結果的に翻訳に専念できる時間が得られたのは幸いで、ありがたいことにその後もコンスタントに依頼をいただき、今に至っているというわけです。 翻訳者は実務経験よりも翻訳のスキルの方が重要 MBAを取得したことやファンドマネジャーの経験が翻訳にどの程度生きているかと聞かれれば、まあゼロではないでしょう。 金融や経済学、マネジメント、リーダーシップといった分野のことなら、ある程度想像がつきますから、発注者の側からすると多少の安心感につながるかもしれませんし、それだけ翻訳作業も早く進められるかもしれない。 最初のチャンスをいただくには、過去の経歴が役立つこともあるでしょう。 ただし、実務経験がなくても優れた翻訳者は多くいることも事実です。 そう考えると、ビジネスの経験とその分野の翻訳における優位性はあまり関係ないと思います。 例えば日本語で書かれた本なら、あまり詳しくない分野のものでも、それなりに理解できますよね。 同じように、英語の習熟度が高ければ、自分の専門分野でなくても普通に理解できるはずです。 そういう意味で、翻訳者は実務経験よりも翻訳のスキルの方が重要だと感じています。 杏林大学は1966年創立、1970年に大学設置の私立大学。 キャンパスは三鷹、井の頭、八王子の3か所。 外国語学部は英語学科、中国語学科、観光交流文化学科で構成されている。 邦訳は『ケイト・レディは負け犬じゃない』(ソニーマガジンズ、2004年刊)。 原書は欧米でヒットし、2011年にはサラ・ジェシカ・パーカー主演で映画化された。 日本でも『ケイト・レディが完璧(パーフェクト)な理由(ワケ)』というタイトルで劇場公開されている。 関氏が翻訳に携わった約40冊の本は、「Booklog」上にて一覧できる。 翻訳者は俳優のようなものだと思っています。 原書という〝脚本〟に書いてある台詞を読むのが仕事ですが、読み方=演じ方によって観客が共感したり、しらけてしまったり、嫌悪したり、退屈したりするわけです。 脚本なり原書なりの縛りの中で、それを変えずに自分がどう表現するかで、読者を惹きつけることができたりできなかったりする。 そこに挑戦するのが、翻訳者のやりがいです。 私が尊敬する大先輩の翻訳者である村井章子さんは、「ダメな本を翻訳で良くすることはできないけれど、いい本を翻訳でダメにすることは簡単だ」とおっしゃっていました。 どんなに脚本が素晴らしくても役者=訳者が大根だと、素晴らしい脚本が台無しになってしまいます。 素晴らしい原書を台無しにしないことが、翻訳者の務めだと思います。 具体的に心掛けているのは、英語の原文を読んで私の頭に思い浮かんだイメージと、私の翻訳文を読んで読者の頭に思い浮かぶイメージが一致するようにすること。 文章を読むと頭の中に画像なり映像なりが立ち上がってきます。 翻訳者が原書を読んで思い浮かべたものと、読者が思い浮かべるものがマッチしないと、うまく翻訳できていないということになりますね。 自分が原書を読んで抱いたイメージと齟齬のない情景を読者に提供できるのが理想です。 でもそれには、2つの力が同時に必要です。 まず英語を読んで思い浮かべたイメージが正しい、つまり英語がきちんと読めていること。 そして、そのイメージを正確に日本語で表現できていること。 この2つの力が同時にいつもうまく発揮できるとは限りません。 日本語表現が思いつかなくて困ることはしょっちゅうです。 自分の翻訳で2つがぴったり合ったと思える文章はそれほど多くはありません。 そのために一番マッチした言葉を選ぶということです。 「いわゆる翻訳調が好き」とか、「西洋の雰囲気が文章にもそのまま残っている方が好き」という方もいらっしゃるかもしれませんが、私はなるべく「翻訳臭さ」をなくすことや、少しインパクトのある今風の表現を入れるようにしています。 例えば『FACTFULNESS(ファクトフルネス)』では、著者であるハンス・ロスリングの語り口を生かすように工夫しました。 公衆衛生の専門家であるロスリングはTEDのスピーチでも人気で、話す内容はシリアスだけれども、少し早口のしゃべりも動作もコミカルなんですよ。 若者に親しみやすい表現をしているし、権威に対して斜に構えたりする面もある。 読者が飽きないように読み進めてくれるよう、そういうフックになる言葉もちょいちょい入れるようにしています。 日本語は主語がない 日本語らしい日本語にするということにも気を付けています。 『FACTFULNESS』の共訳者の上杉さんがおっしゃっていましたが、「最初から日本語で書かれていたら、どんな表現になっていたか?」と考えるわけです。 英語にはあるけれど、日本語にはないものはいくつかありますし、その逆もあります。 「日本語には主語がない」と言われます。 また、「私たち」や「彼ら」といった複数形の人称代名詞もあまり使いません。 どういう文脈で使われているかで扱いは違ってきますけど、人称代名詞がなくても意味が通じるのであれば、あえて省いた方がスムーズに読めるところはたくさんあります。 逆に、英語の一人称は「I」しかありませんが、日本語にはたくさん一人称があります。 「わたし」と「僕」では頭に浮かんでくる人のイメージがガラッと変わります。 「俺」、「うち」、「わし」など、それぞれアイデンティティが違いますよね。 しかも日本語は表記も多様で、「私」「わたし」「ワタシ」「あたし」「わたくし」では受ける印象が違います。 「僕」もカタカナの「ボク」と、ひらがなの「ぼく」とではイメージが変わるでしょう。 よりよい表現を目指し、自分の中の引き出しを探って最善を尽くす 主語の使い方、文章の切り方、人称代名詞の使い方、時制、複数形など、自然な日本語にするためのポイントはいろいろあるということです。 英語にあって日本語にないものはなるべく省略し、逆に日本語にあって英語にないものは付け加えたり。 英語特有の表現をどう訳すかということも悩みどころです。 あらゆる表現をどう訳すか、毎日、毎秒、つまづいて、もがくことの連続です。 これが正解というものはないので、よりよい表現を目指して自分の中の引き出しを探って最善を尽くすしかありません。 一連の文章の中で1つでもおかしな表現があれば、読者は混乱しますし、例えばページを繰って後戻りしたり、違和感を抱いたり、途中で読むのを止めたりといったことも起こるかもしれない。 そういうことのないように、読み手がストレスなく本の世界に没頭できる、そんな翻訳を目指しています。 WEB限定コンテンツ (2018. 20 三鷹市の杏林大学 井の頭キャンパスにて取材) text: Yoshie Kaneko photo: Kazuhiro Shiraishi.

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