アミューズ 社長 死亡。 追悼 パワーハウス・アミューズ代表 田名邊秀樹さん|編集後記|GT

アミューズとは

アミューズ 社長 死亡

高性能なチューニングカーを長きにわたり生み出し続け、日本のチューニング業界の牽引役でもあった 株 パワーハウス・アミューズ代表の田名邊秀樹 たなべひでき さんが、脳神経膠腫のため9月21日2時35分にお亡くなりになりました。 46歳でした。 田名邊さんは1991年に 株 パワーハウス・アミューズを創業、以来コンピュータや排気系、足回りに優れたチューニングパーツを開発し、トップチューナーとしての名声と実績を勝ち得てきました。 同時にホンダS2000や日産GT-Rをベースとしたハイレベルなコンプリートカーも開発、S2000 GT1やS2000 R1、カーボンRといったモデルは『グランツーリスモ4』にも収録されました。 今年の東京オートサロン2008では、最新のコンプリートカー「amuse nismo 380 Super Leggera アミューズ・ニスモ380スーパーレッジェーラ 」が「グランツーリスモ・アワード TOKYO AUTO SALON」を受賞しています。 謹んでご冥福をお祈りいたします。 『グランツーリスモ』シリーズプロデューサー山内一典のコメント 「どこまでも妥協しないモノ作りの精神」 言葉で言うのは簡単ですが、実際の日々の仕事のなかで、それを常にやり遂げることはとても難しいものです。 しかし、チューニング業界の中にあって、奇跡のように、そんなモノ作りを徹底して実践してきたのが、パワーハウス・アミューズであり、代表の田名邊さんでした。 パワーだけを追い求めるのではなく、また、極端な軽量化をしているわけでもないのに、アミューズが作るクルマは、いつだって乗りやすく、そして最速でした。 『グランツーリスモ 4』でアミューズのクルマを収録することになったときのこと。 ご自身の仕事を終えた深夜になると、田名邊さんは毎日のように私たちのスタジオに来て、収録されるご自身のチューニングカーのセッティングを煮詰めていました。 その完成度に対する執念とこだわりは、対応している私やエンジニアが音を上げるほど。 「新しいチタンの素材と、その加工法が出来たんだ」 複雑に成形されたチタンのマフラーを嬉しそうに見せてくれた日もありました。 『グランツーリスモ5プロローグ』にアミューズのS2000が収録されることになった今年の3月、すでに病状は進行しており、歩くことも、話すこともままならない状態だったのに、ご自身でクルマを運転して私たちのスタジオに来て下さって意見を伺ったのが、私にとって田名邊さんとの最後の思い出となりました。 奇をてらわず真摯に愚直に作品の完成度を追い求めること。 どんなときでも言い訳せずに目前の勝負にはこだわること。 勝負している業界は違いますが、田名邊さんからは、たくさんのことを学びました。 なにより一人の男として、とても尊敬していました。 いつも格好いい親分でした。 あんなに頑張っていた人が・・・と思うと、本当に残念で涙が止まりません。 田名邊さんの遺伝子を受け継いだパワーハウス・アミューズのみなさん、これからも私たちが感動する、すばらしいクルマとチューニングパーツを作り続けてください。 Developed by Polyphony Digital Inc. All rights reserved. Any depiction or recreation of real world locations, entities, businesses, or organizations is not intended to be or imply any sponsorship or endorsement of this game by such party or parties. "Gran Turismo" logos are registered trademarks or trademarks of Sony Interactive Entertainment Inc.

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アンビリバボー」は、【実録!! 夏山に潜む恐怖SP!! 】と題して、2009年7月16日、北海道大雪山系トムラウシ山でツアーガイドを含む登山者8人の犠牲者が出た「トムラウシ山遭難事故」を特集する。 ツアーを企画したのは、本社を東京都千代田区に構える旅行会社「アミューズトラベル(株)」。 この会社は「トムラウシ山遭難事故」が起きた後の2012年11月3日、今度は万里の長城付近の山を巡るツアーにおいて、再び遭難事故を起こして犠牲者を出している。 犠牲者の死因はトムラウシ山遭難事故のときと同じ「低体温症」で、原因となったのも同じく適当なガイドの厳選によるものだった。 ツアー会社「アミューズトラベル(株)」は中国・万里の長城遭難事故で死亡者を出したことによって同年12月20日を最後に、営業を停止。 生存者のガイドを含んだ、従業員を全員解雇したあとは「社長以下役員3人が遺族への対応などを行う」として廃業する形をとった。 今回は、2009年7月16日、北海道・大雪山系において、ツアーガイドを含む登山者8人が低体温症によって死亡した「トムラウシ山遭難事故」について迫ってみようと思う。 Sponsored Link トムラウシ山遭難事故 生存者のガイドを含む従業員を全員解雇 トムラウシ山遭難事故のツアー会社だった「アミューズトラベル(株)」は、2012年11月3日、中国・万里の長城付近の山を巡るツアーにおいて、またしてもガイドによって死亡(凍死)する事故を発生させた。 万里の長城遭難事故は、大雪で5人が遭難し、日本人客3人が「低体温症」で死亡したというもの。 ツアー会社の「アミューズトラベル社」は、会社として現地の確認を行っておらず、「現地のガイドにまかせっぱなしにしてろくに確認もしていなかった」と、釈明した。 同社は「トムラウシ山遭難事故」を起こした際、51日間の業務停止命令などを受け、営業利益が減少。 その後の売上も軟調推移だったところ、中国・万里の長城遭難事故を起こし、責任をとって生存者のガイドを含む従業員を全員解雇して、廃業することにした。 だが、廃業しても旅行業登録を取り消す処分が下されたことで、同社及び社長と役員は、5年間旅行業の再登録が出来なくなっている。 (5年後は2017年12月20日) (関連記事) Sponsored Link トムラウシ山遭難事故 犠牲者の死因と原因 トムラウシ山遭難事故とは、2009年7月13日から17日までの4泊5日で行われた「アミューズトラベル社」の登山企画に、50~60代の中高年客15人とガイド3人が参加し、登山中に「低体温症」を発症して8人の犠牲者が出た事故のこと。 死亡者が出た原因は、ツアーガイドの判断ミスだったことが後に判明。 犠牲者の死因もやはり「低体温症」からだった。 「アミューズトラベル社」の企画は、旭岳温泉を起点として、旭岳ロープウェイを利用し、標高1600姿見駅(山頂駅)から歩き始め、白雲岳避難小屋とヒサゴ沼避難小屋を利用しながら大雪山系の主稜線を縦走し、トムラウシ温泉へ下山する2泊3日の登山行動を予定していた。 出発日である13日の時点では、メインガイドの男性は、「14日は大丈夫だが、15、16日は崩れるだろう」と予想。 登山日となった14日の早朝の天候は、ガスがかかっていたが、そんなに寒いという感じではなかったという。 結局14日は、1人の女性が気分を悪くしただけにとどまったが、予想通り15日からは天候が悪化。 15日こそ事なきを得るが、16日になって遭難事故が発生してしまったのだ。 16日の早朝、リーダーの男性ガイドは、天候の回復具合や出発直後の雪渓の登りを考慮して、出発を30分遅らせることを全員に伝えた。 さらに「トムラウシ山頂」には登らず、迂回コースをとることを伝えたが、今後の天候判断による対応などについては語らなかったという。 そして、風が強くて寒いというコンディションにも関わらず出発してしまったところ、途中で「ぐったり」とする人や、遅れだす人が出てきたのである。 このときすでに体調の悪い人は、ガイドを含め、のちに死因となる「低体温症」を発症していたのだ。 次第に低体温症のため歩行困難となった人や、意識をなくしていく人なども出てきて救助を要請。 自力で歩ける人だけが下山することに。 その後、救助要請を受けた警察、消防署員、自衛隊らは犠牲者の救出及び捜索を開始した。 ガイドを含む登山者8人が死亡した「トムラウシ山遭難事故」の原因は、強い風雨の中でのツアー続行を「見切り発車」したことだった。 同行したガイド3人について「その場限りのチームで、信頼関係はなかった」と、後に判明。 生き残った男性ガイドは、死亡したリーダーの男性ガイドについて、トムラウシ登山の経験がなかったことを集合後に初めて知ったといい「帰りたくなるくらいイヤだった」と人選を批判した。 また、遭難当日の出発の判断は「(残りのガイド2人が)決断した以上、サポートに徹するしかない」と決定権がなかった立場を強調したのだ。 結果、事故が起きたのは、アルバイトのようなガイドを送り込んだ「アミューズトラベル社」に一番の責任があるのは言うまでもない。

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今日はaccelと直接関係はありませんが、私がずっとお世話になっており、accelを始めるきっかけとなったパワーハウスアミューズの田名邊社長の思い出を書き込みます。 パワーハウスアミューズの田名邊秀樹社長が9月21日に天国へと旅立たれました。 8年前、JZX100のコンピューターを現車合わせをお願いしに館山へ行ったのが私が田名邊社長に惚れた始まりでした。 『秋田ってどこだっけ?仙台ハイランドより遠いよね?えっ、800km近くあるの??』と笑顔で話してくれたのが最初でした。 非常に気さくで温厚な印象を受けたのですが、車に向かっている表情は真剣そのものでダイノパックで何回も回してちょっと走っての繰り返しで、10時から夜8時過ぎまで掛かりっきりでセッティングしてくれました。 そして数ヵ月後、GT2835Rのオリジナルタービンが欲しくてお店に行くと、 『HKSから新しくGTPROタービンってのが発売されてさ、ウチのタービンより安くてこっちの方が良さそうだからHKSのにしない?』って、自分の店のパーツを販売したほうが利益になるし、簡単にメーカーの方が優れているって言っていいの?とその時思いました。 なかなか言えない言葉です。 オリジナル物を売りたがるショップは実際多いですし。 告別式でポリフォニーデジタルの山内社長が 『奇をてらわず真摯に愚直に作品の完成度を追い求めていた』 との言葉を述べられたとき、ああやっぱり田名邊社長は私の思った通りの人だったんだ、天才なんかじゃない、本当に良い作品をお客さんに提供したいと真剣に車に向かう努力の塊だったんだと改めて思いました。 その後GT30PROタービンを取り付け、筑波で1日がかりで足回りのセッティングをしてショップデモカー並みのタイムを出せる車に仕上げていただき、木更津に移転してからは東京に用事があるついでに顔を出していました。 5月17日、1時間程色々な話をしました。 私の思い出話、常連さんの話、GTRの話、M3・M5の話、最後の会話になりました。 一生忘れられない1時間になりました。 『他の人はいいけどさ、工藤君は宝くじ当たったってお金を持ってきても絶対に車やらないからね。 一生懸命働いて商売成功して持ってきたら俺も一生懸命車つくるよ。 欲しい車が無いならつくればいいんだよ。 カーボンチェイサーでもつくればいいじゃん。 』 4年前独立したと報告に行った時の笑顔が忘れられません。 もう走る車は要らない。 乗りたくない。 東北自動車道を走りながらずっと思ってました。 でもお通夜・告別式に参席させていただき、考えが変わりました。 最後の作品となった、本当に命を削って完成させたPHANTOMに乗りたくなりました。 誰にでも楽しめる仕様に仕上げた筈です。 田名邊さん、奥さん、まっちゃん、来年中に必ずGTR用意して持って行きますので、PHANTOMと同じように仕上げて下さい。 田名邊さんの分まで楽しんで乗ります。 悲しんでいても、『そんなんじゃ男の勲章用意できないよ〜』って笑われそうなので今日から必死にまた働きます。 田名邊さんありがとうございました。 天国でゆっくりと休んで下さいね•

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