未来 の ミライ 手 の あざ。 【ネタバレ注意】ミライの未来という映画で、ミライちゃんの手の痣は...

シギ

未来 の ミライ 手 の あざ

未来は「いま」である 現在、ほぼ毎日と言ってもいいくらい、 AI開発やIoT製品のニュースが流れてきます。 みなさんも一度はこういったトピックの報道を、Webやニュースでご覧になったことがあるのではないでしょうか。 いまこの瞬間も、世界中のIoTで人間のデータが吸収され、それはAI開発の礎となっています。 それらAIは、姿がまんま人間のモノもあれば、ロボット掃除機ルンバやamazonのEcho、いまお持ちのスマートフォンのように「ザ・機械」な見かけをしていることも多々。 モノがあふれ、同時に削られていく現代。 とりもなおさず言えることは「 すごい勢いで未来が生活に入り込んできている」ということです。 なんでみんなAI…? GoogleやFacebook、amazonらを筆頭に開発が進むこれらテクノロジーの数々は、かつてないほどの劇的な変化を見せ突き進んでいます。 一瞬引き下がったGoogleグラスのようなものも、 果敢にリリースと撤退を繰り返し、未来へ挑み続けています。 「なんでそんなに急いでるの?」 「金かかってそうだなー」 「なんかすごそう。 知らんけど」 先進国にいると、そんな風に感じることかもしれません。 自分には関係ないとさえ思っている場合もあるのではないでしょうか。 「そこそこに便利になっていけばいいし、不満はあるけど悲観はないし、まあ良い感じなるに越したことはないので、頑張ってくださいね」と。 しかしそろそろ、こぞって世界的な巨大企業がAI開発を始めとした 「お金が湯水のごとくかかるチャレンジ」をしている理由を考えてみてもいいかもしれません。 せっかくこの時代に生きているのですから。 進化に興味を持ち、それがいったい何を意味しているのかを。 労働とお金がなくなる? AI開発がニュースになるときは、どうしてもその先進的な技術開発のみにフォーカスが当てられるため、二足歩行のロボットや音声認識だけがフィーチャーされたりもします。 しかしその進化の先には、本当は何があるのでしょうか? その先に、私たちの生活がどうつながっていくのかを想像できるチャンスは、議論できる機会は、 次のIT革命前夜の今、この時代です。 AIをひとつとして、超先進的な開発に勤しむ企業たちが目指すところ。 それは、世の中をもっと便利にというレベルでなくー。 「労働とお金」をなくすこと。 GoogleやFacebookが労働とお金をなくすためにAI開発…? 少し一足飛びかもしれませんが、このコラムではこれを仮説にしたいと思います。 お金がなくなると? 人間の仕事をロボットが「奪っていく」のでなく「 代わりにやってくれる」ようになる。 それが少しづつ広範囲にさまざまな仕事に浸透していけば、究極的には「労働」がこの世からなくなる。 労働しなくても生きていける、新しい社会が誕生する。 労働がなくなるということは、給料のために働く人生がなくなる。 お金のために身を粉にして動く必要もない、すると、 お金の価値がなくなってくるー。 そうなると、分散型仮想通貨のビットコインのようなものが、そういったブロックチェーン型の、中央集権型でない「 貨幣的な何か」が各分野で生まれ重宝されていく可能性は十分にあります。 2019年に突如ニュースとして流れたFacebookの仮想通貨「リブラ(libra)」やLINEが取引所「BITBOX」をスタートするなど、投機でなく「思想」ベースの土壌が日々、耕されています。 少し聞いたことがあるかもしれない「 ベーシックインカム」(就労の有無や資産に関わらず政府がお金を給付する構想)なるものも、その流れのひとつと言われています。 幸せのかたちが、 お金そのものやお金の絡む何かではなくなっていく時代へー。 「当たり前」を変えていく人たちは、あとで「線」で褒められることはあってもリアルタイムの「点」では不可解に思われたり、バカにされることもあります。 ここはひとつ「線」で、 AIに集積しているテクノロジーを見ると、未来が多様に想像できてくるかもしれません。 テクノロジーの進化は何を変えるか ちょとだけ話を変えて。 いま世界をすこし見渡してみると。 あえて悲観的に言うならば、もう人間はボロボロです。 精神的にも肉体的に危うい。 世の中は便利になっていってるはずでも、幸せや、生きる意味を見出しにくい世の中という側面はむしろ膨れ上がっているようにも思えます。 便利と幸せは比例しないのでしょうか。 紛争も自殺も過労死もなくなりません。 疲れ果てた人間、そして自然、風化した社会の仕組み、封建的なルール。 それらを変える鍵ががもしAIにあるならば、それは革命です。 労働やお金から解放された人生。 テクノロジーの進化が全てを幸せにはできないでしょうが、負のスパイラルの歯止めになってくれる可能性は多分に秘めており、そこからの 新しい世界が始まるチャンスはありえます。 まったく新しい世界 「テクノロジー」を広義にとらえるならば、それはITに限りません。 スタンリー・キューブリック監督の『2001年宇宙の旅』(1968年)のオープニングで形容された、猿が武器を手にし知恵を得る瞬間。 紀元前7世紀にリュディアで作られた、最古の硬貨と言われるエレクトロン貨。 それらは 社会を円滑に機能させる技術=テクノロジーであり、イノベーションです。 AIで巻き起こる革命が「労働とお金」をなくすならば、それはこの10年革新の中心にいたスマートフォンの登場さえも、パラダイム・シフトの前兆に過ぎません。 AIが社会に浸透することでヒトの仕事が「減る」のでなく「なくなる」状況が作り出されること。 世界の巨大企業たちが目指す「まったく新しい世界」がそれだとしたら。 それは人々の人生観を新しいステージをに押し上げることかもしれないのです。 テクノロジーが成長をしきったら、人はどうなる? テクノロジーが成長をしきった世界。 そこにはもしかしたら、「労働とお金」のない世界が広がっているかもしれません。 そんな古びた活動や概念はなくなり、人間の手元には少なくとも今よりずっと「 好きなことをして良い時間」が確保される可能性もあります。 そんな世の中見てみたいし、同時に…だいぶ怖い気もします。 自由すぎるゆえに無法地帯となり、今よりもっと殺し合うのでしょうか。 労働とお金の価値がなくなったら。 大半のヒトが自由を謳歌し、人生を楽しむのでしょうか。 歌いたい人は朝から晩まで歌い、旅行好きな人はいつまでも世界を旅し、読書好きな人は毎日それを続けるのでしょうか。 それとも、大半の人が怠惰となり、朝まで酒を飲み、昼過ぎまで眠り、挙句あれだけイヤだった労働を懐かしむかのような、むしろ虚無感に包まれるような状況になるのでしょうか。 新しい生き方へ もし世の中がAIを始めとしたテクノロジーにより変わっていき「労働とお金」の価値が低くなったら。 お金や地位に縛られていた人たちにとっては、耐え難い状況になるでしょう。 自分を形容できるものが取り上げられてしまいます。 お金がないとエバることも、ヒトを動かすこともできません。 しかし、最初から「労働もお金もない世界」に生まれた 新人類はどうでしょうか。 何の違和感もなくその世界で生きる「 新しい生き方」ができると思います。 「新しい生き方」は、 文字通り新世代から生まれてくる構図になってきます。 そして彼らの生き方を阻害しようとするのは「いまどきの若いもんは…」とボヤく、古い世代の人間たちかもしれません。 自分たちが必死に守ってきた、守らされてきたルールが壊されること。 それらは、 労働やお金に縛られていた人生を否定されたような気持ちになるからです。 AIの未来:シンギュラリティと拡張知能 AIの世界的権威である未来学者レイ・カーツワイルが唱える「人工知能が支配する未来」。 2045年の到来が予言された「 シンギュラリティ」と呼ばれるそれは、もう目の前まで迫っています。 少なくともその前の2020年代には「プレ・シンギュラリティ」なるものが訪れ、技術的特異点の大いなる布石となる革命が起こると言われています。 このプレ・シンギュラリティは、スーパーコンピュータ開発の元祖と言われる齊藤元章氏により予見されています。 そして、シンギュラリティは「AIと人間が対になる考え方」が色濃いとすれば、さらなる進化系として「 拡張知能(Extended Intelligence/EIまたはXI)」なる概念も提唱されています。 これは自己判断するAIとは異なり「人間が機械に倫理的な判断をするよう全てプログラミングをする知能」。 いわば「 人間とAIの統合」です。 このようにAIのアルゴリズムにおいても決して一様ではなく、多元的な可能性が議論・開発されている途上にあります。 こうしている今も、各国・各所・各企業・各個人のなかで「何かが変わるかもしれない」「いまの生き方でいいのだろうか」という 変革の予兆は意識下で始まっているー。 それらの意識はWEB上で顕在化し、グローバル化の一途をたどり、世の価値観をテクノロジーと共に急変させていく源になっていくでしょう。 「そろそろいろいろ、整理して、新しくしないと、このまま地球が持たないんじゃないか」という脅迫観念は、 イノベーションの源泉になりえます。 大げさに言えば、革命とはいつも、そういった背水の陣から生まれてきました。 「テクノロジーを考える」とは 「なんで大きな会社って、AI開発してるんですか?」 こんな風に聞かれることがあります。 AIが何をもたらし、人類から何を削除していくのか。 このAIの急速な、かつ異常なまでの進化のスピードは、革命前夜以外のなんでもないことは、なんとなく多くの人が感じていることです。 最新のテクノロジーに何らかの未来を重ね合わせ想像することは、一部のマニアや学者の専売特許ではありません。 今やテクノロジーを感じ想像することは、自らの未来と人生を考えることにほかならないのです。 ヒトが機械と共に なんでもITになるというのは、一見味気ない事ともとらえられがちですが、むしろ現代人はWEBを扱えるようになり、インターネットの登場当初よりもWEBに「ヒト」を感じています。 単なるWEBのなかにSNSという立体的な社会が生まれ、2ちゃんねるからインスタグラムまで分散型のコミュニティが各々で形成されることになりました。 私たちはどんなに遠い海外に行くときでも、手のひらにおさまるスマートフォンだけで、アメリカでもインドでも、アフリカでもイギリスでも、全ての工程を予約できます。 ヒトが機械と共に進化する時代。 そして今や ヒトの進化や価値観を機械がリードする形勢になって久しい状況が続いています。 時代の分岐点に生きている AI開発に勤しんでいる人たちは、いろんなことを考えながら、ネットよりもスマホよりも全然、もっともっと先の未来を見ていると思います。 それは「労働」のない世界でしょうか。 「お金」がない世界でしょうか。 それとも、もっと異なる、想像もできない世界でしょうか。 テクノロジーの進化とは、ヒトの歴史の分岐点でもあります。 著者:アクトハウス代表 清宮 雄.

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映画『未来のミライ』解説と考察 解説:くんちゃんの家に起こる不思議な現象はなぜ起こるのか くんちゃんが不思議な世界に行ったりミライちゃんがなぜか過去に来たりと謎の現象が起きている世界でしたが、これの元になっているのは家の庭に生えている樫の木が原因でした。 くんちゃん宅の樫の木は図書館で本を探すときのようにインデックスが出来ており、家系の現在過去未来全ての出来事がカードのような形になって収められているのです。 インデックスの中は球体状になっていてそこには系統樹が張り巡らせ、一本の枝から更に枝分かれするような形で記録が残されているのだとか。 そこから行きたい場所を見つけるのは困難ですが、くんちゃんはなぜかその不思議な空間に迷い込んでしまったことで過去の家系を旅する冒険をしてしまったというのがこの作品のお話でした。 考察:樫の木の索引の第一発見者はミライちゃん説 未来からくんちゃんのいる場所に来たミライちゃんは将来のお話をしていたり索引の使い方をくんちゃんに教えていたり何かと知っている素振りを見せていました。 そんなミライちゃんは実は索引を初めて発見した子なのではないかと思います。 というのも過去に行っても家系の人の中には索引のことを知っているような人は誰もいませんでしたし、唯一知ってそうだったのは未来のくんちゃんくらい。 母親も当然知らないわけでやはり現状知っているのはミライちゃんとくんちゃんくらいです。 これなら第一発見者がミライちゃんだったことも正解です。 ただこの先の家系に樫の木から過去現在未来に行けるなんてことが知れたらタイムパラドックスが起き放題になりそうなのでくんちゃんとミライちゃんだけしか知らないでおいたほうが良さそうですね。 考察:同時に二人は存在できないという謎と矛盾 未来のミライちゃんが来たときにはひな壇のお片付けに奮闘していたわけですが、その時赤ん坊のミライちゃんはいなくなっていました。 ミライちゃんいわく「同じ時間に二人で存在出来ない」とか言っていたことを覚えています。 この設定は終盤でくんちゃんが赤ん坊のミライちゃんを妹と認めた時に大きくなったミライちゃんがやってきた場面でも守られていましたが、くんちゃんに関しては矛盾があったんです。 その矛盾というのはくんちゃんが大きくなったくんちゃんと出会った場面。 本来なら二人は同時に存在出来ない設定があるわけですからくんちゃんが大きくなったくんちゃんと出会うというのもおかしな矛盾です。 これに関して考えたのは「未来から過去へ行く場合は二人は存在できない」、「過去から未来なら二人は存在できる」というパターンです。 このルールなら一応矛盾を避けられるので無理やりですがこういうことにしておきましょう。 解説:くんちゃんの家で飼われるペットが犬な理由 くんちゃん宅で飼われているペットは犬のゆっこだったことはわかると思います。 そしてゆっこはくんちゃんと元気に遊ぶ姿がよく見られましたが、お母さんが好きな動物は猫でした。 母が猫好きであることはくんちゃんが不思議世界に迷いこんだ際に出会った少女(小さい頃の母)がお母さんかお婆ちゃんかの靴に猫が飼いたい旨の手紙を何度も入れて根負けさせようと頑張っていたことからも明らかです。 それならばくんちゃんの家で買われるのは本来犬ではなく猫が飼われるはずでは?と思うのになぜか飼われているのは犬のゆっこです。 この答えが明らかになるのは終盤の話。 未来のミライちゃんとくんちゃんが過去を巡っている最中に血を流した小さな鳥の雛を抱える少女(母)がいました。 この時の鳥がやられたのは猫の攻撃によるものであり、母は猫に鳥を攻撃されたのを見て猫が嫌いになってしまったのです。 ちなみに鳥の巣はくんちゃんが住んでいる家にもまだ残っている描写もありました。 動物を飼わないという選択肢もありそうですが、お母さんは少女のときから動物と打ち解けやすい性格をしていた話もあったりするので飼わない選択肢はなかったのかもしれません。 考察:映画『未来のミライ』は結局どういう話なの? 映画『未来のミライ』はただ見ているだけでは勝手に始まってくんちゃんがぐずって気づいたら映画が終わってたレベルで何が言いたかったのかよくわからなかったという方もいるんじゃないでしょうか。 実際私自身も初めて見たときは「ミライちゃんの出番少なくない?」とかその程度の感想しか沸かず今まで見てきた細田守監督作品の中でも何が伝えたいのかよくわかりませんでした。 ただ改めて考えると案外テーマ性を感じる部分があり、その一つはくんちゃんにミライちゃんを本当のお姉ちゃんだと認めさせるというものがあります。 元々くんちゃんはお母さんとお父さんから愛情を込めて育てられており、充実した毎日を送っていました。 しかしそんなくんちゃんに妹のミライちゃんが生まれたから状況が一変。 両親はミライちゃんに夢中でくんちゃんのわがままは聞いてくれず、くんちゃんもミライちゃんに愛情を奪われたことで嫌っています。 その嫌い具合は半端なく赤ん坊のミライちゃんを叩きつけようとしたり現実で考えても中々タブーな行為をしていたから驚きでしょう。 そしてくんちゃんはミライちゃんのことを「好きくない」と何度も何度も言い、未来のミライちゃんが自宅にやって来てもくんちゃんはミライちゃんのことを「好きくない」と言い「妹でもない」と言います。 しかし最後には謎の世界で赤ん坊のミライちゃんを守り、「ミライちゃんはくんちゃんの妹だ!」といった感じのセリフを言って妹であることを認めました。 これは散々ミライちゃんのことを好きじゃないし妹でもないと言っていたのに最後にミライちゃんを妹と認めて守ったわけですから「くんちゃんにミライちゃんを本当のお姉ちゃんだと認めさせる話」というのがテーマとして成立しています。 解説:映画『未来のミライ』はくんちゃんの成長物語がテーマ わがままなくんちゃんにミライちゃんを妹と認めさせるのがテーマの1つでした。 またこの映画にはくんちゃんの成長物語という側面も各所で見られたと思います。 その場面は不思議空間に何度も行ったくんちゃんが色々な物を目で見て、それから現実世界で経験を踏まえて新しい自我が芽生えるという描写が何度もあることからもわかります。 一番わかりやすいのは自転車に乗れるようになったこと。 くんちゃんは1人で自転車に乗れなかった上に乗るのを拒否していましたが、謎世界で出会った青年に「遠くを見る」というアドバイスを貰ったおかげでやる気になり見事自転車に乗れるようになりました。 このようにくんちゃんは色々なものを見ることで成長していったわけですから成長物語と言えます。 とは言っても見ていて生々しい感じに出来ない子描写があったと思いますが。 考察:くんちゃんが赤ん坊のミライちゃんを助けた理由 謎の世界で両親の名前を忘れてしまったくんちゃんは遺失物係の場所で唯一名前を覚えていたミライちゃんの名前を出していました。 そんなくんちゃんは赤ん坊のミライちゃんが歩いて電車に入ろうとするのを見て追いかけて助けています。 この理由は親元のわからない者はどこかよくわからない世界に電車で送られるという設定があったからですが、もう一つの理由はくんちゃんが両親からいわれたセリフにあります。 映画の冒頭のちょっとしたセリフなので忘れがちだと思いますが、両親がミライちゃんをくんちゃんに初めて紹介した時にこういったセリフを言っていました。 お母さん「何かあったら、守ってあげてね」 お母さんのこの言葉を思い出したくんちゃんは今まさに赤ん坊のミライちゃんが電車でどこかに連れていかれてしまうことに対して守ってあげなきゃという意識が働きいて助け出したわけですね。 考察:ミライちゃんが過去のくんちゃんの元に来た理由は? 制服姿でくんちゃんの前に仁王立ちしながら現れた未来のミライちゃんは口と鼻にくじらのクッキーを挟んでやってきて、くんちゃんに対してひな壇を片付けてほしいと頼んでいました。 そんなミライちゃんが未来からやってきた理由はミライちゃんも言っていましたが、「好きな人と将来結婚出来ない」とか「1日遅れたら1年、2日遅れたら2年婚期が遅れる」というものです。 結論から言うとミライちゃんが来た理由は「婚期を遅らせたくなかった」というのが正解だと思います。 ただひな壇の片付けが遅れたらなんで婚期が遅れてしまうのか?という疑問が湧くのも見た人の率直な意見でしょう。 これにはひな壇人形にまつわる迷信があります。 その迷信は分けると複数ありますが、今回の意味で言うと「早く雛人形を飾れば早く嫁に行ける」といった意味です。 これは早く雛人形を飾れば嫁入りも早く若いうちに結婚出来るという迷信ですが、逆に考えると遅く飾ったら嫁入りも遅れると捉えられます。 また片付けも早く済ませれば嫁入りも早く済ませられるという意味に捉えられ、遅ければ嫁入りも遅くなるのです。 この片付けの遅れによる嫁入りの遅れは1日で1年、2日で2年と劇中でも言われていた通りの遅れが迷信として信じられているため、今回のお話をキレイに当てはまります。 このことから細田守監督はこの雛人形にまつわる実際に存在する迷信を取り入れていたわけですね。 考察:ミライちゃんの痣に込められた意味とは? 生まれたときからついていたと言われるミライちゃんの痣はくんちゃんが赤ちゃんミライちゃんの手のひらを初めて覗き込んだ時には既についていたものです。 お母さん含む大人たちはその痣について「将来ミライちゃんが気にしないかな・・・」と心配する様子を見せていましたが、果たしてこの痣にはどんな意味が込められていたのでしょうか。 単純にこの意味を考えた場合第一に考えられるのはくんちゃんが未来のミライちゃんを見分けられるためにつけられた設定というのが考えられます。 実際のところくんちゃんは赤ちゃんの時のミライちゃんの痣の事を知っており、その後に制服姿でやってきた未来のミライちゃんを見て「もしかして未来のミライちゃん?」と気づいていました。 またラスト終盤でも謎の世界で迷子になったくんちゃんは痣のついた赤ちゃん、つまりミライちゃんを見つけて守ろうとしており、その後に痣を見て未来のミライちゃんが来てくれたことを判別していました。 つまりミライちゃんの痣はくんちゃんがミライちゃんであることを判別するためにつけられたものだったのです。 解説:ミライちゃんの痣は医学的には「いちご状血管腫」の可能性? 「いちご状血管腫」、またの名前を「乳児血管腫」と呼ばれるものは生まれたばかりの赤ちゃんに数人に1人の割合で見られる体の表面の赤い痣のことを言います。 この痣は毛細血管が増殖した良性の腫瘍なわけですが、赤ちゃんそれぞれによって酷さはかなり変わるものです。 劇中のミライちゃんにもこのいちご状血管腫が生まれた時からあり、それなりに酷かったもので成長しても残っていたというのが医学的な意味だと考えられます。 ちなみにこのいちご状血管腫はこの記事を書いている私の兄弟の赤ちゃんにもありました。 頭に1センチくらいの大きさで真っ赤な斑点がくっきりとみられて手術か治療はしているみたいです。 ネットで画像検索をすると参考写真が見られますし、実際の写真もミライちゃんみたいな赤い痣のお子さんがいますよ。

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映画「未来のミライ」原作小説のあらすじとネタバレ!詳しい内容や結末は?

未来 の ミライ 手 の あざ

2018年7月20日に映画『未来のミライ』が公開されます。 これは細田守監督の最新作ということもあってかなり注目されています。 また予告も解禁になり、いろんな情報がわかってきましたね。 今回は、映画『未来のミライ』の くんちゃんについて紹介したいと思います。 Sponsored Link 映画『未来のミライ』の作品情報 『原題』 未来のミライ 『劇場公開日』 2018年7月20日 『製作年』 2018年 『製作国』 日本 『配給』 東宝 『監督』 細田守監督 あらすじ 甘えん坊の4歳の男児くんちゃんと、未来からやってきた成長した妹ミライの2人が繰り広げる不思議な冒険を通して、さまざまな家族の愛のかたちを描く。 とある都会の片隅。 小さな庭に小さな木の生えた、小さな家に暮らす4歳のくんちゃんは、生まれたばかりの妹に両親の愛情を奪われ、戸惑いの日々を過ごしていた。 そんな彼の前にある時、学生の姿をした少女が現れる。 彼女は、未来からやってきた妹ミライだった。 ミライに導かれ、時を越えた冒険に出たくんちゃんは、かつて王子だったという謎の男や幼い頃の母、青年時代の曽祖父など、不思議な出会いを果たしていく。 com Sponsored Link 未来のミライの主人公は『くんちゃん』!! この子が『くんちゃん』ですね。 4歳の男の子という設定みたいです。 それにしてもかなり可愛い!! 予告でも 『くんちゃん』のいろんなシーンが登場していました。 泣いているくんちゃん。 笑っているくんちゃん。 甘えているくんちゃん。 どれも可愛いですね!! そんな『くんちゃん』なのですが、くんちゃんは『犬』という噂があります。 主人公のくんちゃんは犬だった? このシーンです!! 確かに『くうちゃん』らしき人物が犬になっています。 しかし、これだけでは、まだくんちゃんが犬のなったとは言えないですよね。 決定的なシーンを発見しました。 尻尾が生えたくんちゃんです。 確かにくんちゃんが犬になっています!! このシーンから、おそらく『くんちゃん』は犬ではなく、犬に変身したのではないかということが考えられます!! では、一体どうして『犬』になったのでしょうか? 『犬』になった理由は何? 以前、細田守監督はこうコメントしています。 僕自身が5歳の男の子ともうすぐ2歳になる女の子の親なんですが、世界に対する彼らの純粋なリアクションを見ていると、世の中って芳醇ないいものなんじゃないかと思いましました!! このことが大きく関係しているのではないでしょうか。 そのため、くんちゃんを『人間』と『動物』という二つの視点で作ることで、 生きているということ を表現したかったのかもしれないですね!! また、こちらも関係しているのでしょうか笑 細田守監督の『ケモノ好き』も関係している!? 過去の作品をみていても細田守監督は『ケモノ』が好きです。 おおかみこどもの雨と雪 バケモノの子 細田守監督の新しい作品になる程、多くの『ケモノ』が登場します!! そのため、最新作でも『ケモノ』を登場させたかったのかもしれないですね。 では、『くんちゃん』は最後はどうなるのでしょうか? 最後はどうなるの? 両親の死から立ち直る!!のではないでしょうか。 うん?? 意味がわからない・・・ と感じた方も多いのではないでしょうか。 映画が公開されいないので、あくまで予想なのですが・・・ おそらく、 くんちゃんが小さい時に両親が事故でなくなります。 大好きだった両親が死んでしまったことで『くんちゃん』は生きる気力がなくなってしまします。 そんな姿を見たミライちゃんが、未来からやって来ます!! くんちゃんはミライから来た妹のミライちゃんといろんな冒険をします。 そして、おそらくミライちゃんはくんちゃんにこのことを伝えようとします。 どんなことがあっても、しっかりと生きて欲しい。

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