千と千尋の神隠し 裏話 公式。 『千と千尋の神隠し』豆知識まとめ

千と千尋の神隠しで両親が豚になった理由を考察!ジブリからの回答が! | マジマジ情報局

千と千尋の神隠し 裏話 公式

今回は 「名作の考察・解釈・謎解き・解説」をテーマに記事を書いていきます。 「強いメッセージ性は感じるけど、意味が良く分からない」という名作や名言って、沢山ありますよね? それを、RINRISM的に考察し、解釈して、その名作や名言をより深く理解できるような手助けが出来ればと思っています。 せっかく「名作・名言」なのだから、その素晴らしい価値が、より深く、より多くの人に伝わったのなら、 それを作った人にとっても本望なのではないかと思います。 もちろん、考察や解釈は人それぞれで良いのだと思います。 あくまでも主観的な解釈であり、「これを伝えたいんじゃないかな?」という視点で解釈していきます。 さて、本題です。 僕、アニメが大好きです。 その中でも宮崎駿監督のジブリ映画は大好きです。 …という事で、今回解釈するのは スタジオジブリの名作 「千と千尋の神隠し」です! ・・・先にお伝えします。 ネタばれ有りです! ・・・さて、千と千尋の神隠しと言えば に公開。 興行収入は300億円を超え、第1位の記録 は現在も塗り替えられていない。 批評的にも日本国内にとどまらない評価を受けた。 ではを受賞。 ではを受賞した。 同部門を受賞した唯一の手描きアニメーションであり、唯一の日本のアニメーション映画である。 とにかく、記録的に大ヒットしましたよね。 これは名作です。 そのまま何も考えずストーリーで見ただけでも面白いですし、全てにおいてクオリティがとても高いと思います。 そして作中には「強いメッセージ性」を感じるシーンが、多々あります。 これは、宮崎駿監督がこの作品を通じて「何か」を伝えたがっていると思うわけです。 ご両親が豚になったシーンの意味• 「名前を取られる」の意味• なんで風俗店がテーマなの?• カオナシってなんなの?• 千尋が最後に、豚の中から両親を探すとき、この中に居ないとなぜわかったの?• 湯婆婆(ゆばーば)と銭婆(ぜにーば)に分ける意味• 最初赤かったトンネルが、最後色が違うのはなぜ?• 千尋が現実世界に戻っても、銭婆にもらった髪留めだけが残った意味 などが、この作品の「謎」であり「メッセージ性」を感じる部分です。 根拠を読み取りながら、 一つずつ、解釈していきます。 千と千尋の神隠しのテーマ 宮崎駿監督が、この作品を通じて人に伝えたかった事。 すなわち 「この作品のテーマ・メッセージ」から、お伝えする事が必要だと思います。 ・・・いきなり、重々しく感じるかもしれませんが(笑) で書いたように、この社会には、洗脳が溢れています。 宮崎駿監督は、それをどうにかしたいがゆえに、この作品を作ったのではないかと私は思っています。 何事も結論から話すと、分かりやすくなるものです。 とりあえず今は「へーそうなんだ」くらいに思って頂ければと思います。 下記の謎解きと、解釈を読んで頂ければ「そうかもしれない」と思ってもらえると思います。 ご両親が豚になったシーンの意味 この映画を見始めて、最初に衝撃を受けるシーンは 「パパとママ、豚になっとる!」 というシーンだと思います。 僕は小学生の時にこの映画を見たのですが、トラウマになりそうなくらいの衝撃でした。 そのシーンまでのざっくりした流れとしましては、、、 不思議な街に、千尋とご両親が入ってしまって、 屋台っぽい場所に美味しそうな料理が並べられていて、 パパとママが「お、うまそうだな」とか言いながら、ためらい無くその料理を食べ始める。 そして千尋は「やめようよ~」とか言い、止めようとするが、パパママは「うまいうまい」と言って止まらない。 そして千尋が一人で探索していたらハクと出会い「ここにはいてはいけない!」と怒られて、千尋はパパとママの居るところに戻る。 そしたら、パパとママ豚になっとる・・・。 ・・・という流れです。 この衝撃的なシーンには、どんなメッセージが込められているのでしょうか? 単純に 「魔法のやばい世界に入っちゃった」と捉えるには、もったいないくらい、衝撃的なシーンです。 ・・・辛辣な表現にもなってしまいますが、 豚とは、代表的な家畜です。 人に、人のために、飼いならされているのが家畜です。 ほとんどの大人たちは、この社会で生きるうちに洗脳されて、家畜化させられてしまっています。 (辛辣な表現ですみません) TVの情報、新聞の情報、メディアの嘘の情報にさらされているうちに、嘘の情報を信じ込んでしまっています。 すなわち洗脳され、社会の上の方の人たちにとって都合が良いように、働くように、疑わないように「飼いならされて」しまっています。 そして、子供なら 『こんなの変だ!』と素直に思うような嘘の情報を、簡単に信じ込んでしまっています。 ・・・宮崎駿監督は、まずそれを伝えたかったのだと思います。 「社会には洗脳が溢れていて、みな洗脳されてしまっている」ということを伝えたかったのだと思います。 気付かぬうちに、社会に飼いならされて家畜化されてしまっていることを、伝えたかったのだと思います。 豚=代表的な家畜 疑わずに、バクバク食べる=情報の鵜呑み 子供なら簡単に「変だ」とわかる事が、分からない大人たち これが、このシーンの意味だと、僕は解釈しています。 「名前を取られる」の意味 【名言の紹介】 ハク「湯婆婆は相手の名を奪って支配するんだ。 いつもは千でいて、本当の名前はしっかり隠しておくんだよ」 ハク「名を奪われると、帰り道が分からなくなるんだよ。 私はどうしても思い出せないんだ」 ・・・この映画では、 「名前を忘れてはいけない」「名前を湯婆婆に取られたら、一生この環境から抜け出せない」 という表現が良く登場します。 「名前」というものは、その人のアイデンティティであり、個性であり、名付けた親の思いが込められています。 すなわち名前には「自分の生まれた意味」が込められています。 「名は体を表す」のです。 キャプテンと呼ばれれば、だんだんキャプテンらしくなっていくものですし、 社長と呼ばれれば、だんだん社長らしくなっていくものです。 (名前、呼び名というものは奥が深いので、いつか別に記事を書きたいと思います) ・・・この社会には、 この社会に適合するように頑張って生きているうちに、 「自分の生まれた意味」を忘れさせる仕組みがあります。 お金のために、生きるために、家族を守るために、常識から外れないようにするために、と頑張って生きているうちに、 「自分は誰で、何をしたい人か」つまり 「自分の生まれた意味」という、大事なことを忘れさせられるのです。 宮崎駿監督は、それを伝えたかったのだと思います。 なんで風俗がテーマなの? 千尋が「湯女」として働くことになる、湯婆婆の「湯屋」は、 表向きには「神様が疲れをいやす温泉旅館」のような環境として描かれていますが、 実際のところ「風俗店」であるという裏話があります。 「湯女」=「遊女」であるらしく、あの湯屋は、風俗店であるらしいです。 〈風俗店と資本主義社会の共通点〉• 生きるために、上の存在の快感を満たす世界• 神様的な偉い人のために、身を削って働いている• それが出来ないと、生きられない• 疑わずにそこで働かせるために、洗脳する• そして、「自分は誰で何をしたい人か」という「名前」を取られていく。 という事です。 湯婆婆「契約書だよ。 そこに名前を書きな。 働かせてやる。 その代わり嫌だとか、帰りたいとか言ったらすぐ子豚にしてやるからね」 という湯婆婆の、ブラック企業的なセリフが代表するように 風俗店も、資本主義社会も、 「神様的な偉い人」「支配者」の快適な生活のために、その社会で生きる一般人は、生きるために身を削って働かされているという事です。 すなわち「搾取」です。 下から上に吸い上げるようにして、生きるために働かせるようにして、この資本主義社会は成り立っています。 ピンと来ない方も、これについては少し調べてもらえればわかります。 宮崎駿監督は、それを皆に気付かせて、それに警鐘を鳴らしたかったのだと思います。 (中略)みんな千尋が暮らす湯屋の従業員部屋のような、ああいうものだったんですよ。 日本は少し前までああいう感じだったんです。 ぼくの考察の根拠として、追記させて頂きます。 要するに、宮崎駿監督が「湯屋」を通じて伝えたかったことは、 「あの湯屋の環境は、日本の社会の環境と同じだ」という事ではないでしょうか? カオナシって何なの? 『カオナシって何者なの?何なの?』 という疑問は、この映画を見たほとんどの人に生まれる疑問だと思います。 カオナシ=「名無し」 であるのだと思います。 つまりは、先ほどからの解釈と照らし合わせると 「自分は誰で何をしたい人か」が無い存在。 であるのだと思います。 〈カオナシの特徴〉• 「欲しい」が口癖• 「他者を食べること(奪うこと)で、ステータスを上げていく」 この社会に適合しようとして頑張って生きているうちに 「名前」が奪われ、「名無し」になり、「カオナシ」になり、「自分は誰で何をしたい人か」という事を忘れさせます。 そして、忘れた上でやることは「欲の追求」です。 『良い女が欲しい、良い車が欲しい、良い家が欲しい』と、 自分の本来の目的「自分は誰で何をしたい人か」という欲求ではなく、 作られた目先の欲を追求するようになってしまいます。 そして、自分第一主義になってしまいます。 自分と一握りの身内だけが、得をするように、得をするように、生きるようになってしまいます。 自分より下のものから搾取したり、自分を守るために行動したり、自分のストレスを解消するために目下の者に当たり散らしたりする。 いわゆる「ブラック企業」ですね。 そして「貰う事、奪う事が目的」になってしまいます。 「もらう事が目的」という事は、それは「価値のある人生」とは真逆です。 価値のある人生とは「与える事を優先する」ことで手に入ります。 宮崎駿監督は、 社会には、カオナシのような人「もらう事を優先する人」を生み出すシステムがあるのだと、 伝えたいのだと思います。 あそこを出た方がいいんだよ」 というのがあります。 それは、そういう事です。 この社会に適合して生きようとするから、そうなってしまうのです。 この社会のシステムから抜け、この作られた常識から抜ければ、 今どんなにブラックなカオナシみたいな人も、みな本当は良い人なのです。 湯婆婆(ゆばーば)と銭婆(ぜにーば)に分ける意味 ストーリー的には、千尋の職場の支配者の 「湯婆婆」には、双子の姉の 「銭婆」が居ます。 物語の終盤。 千尋は銭婆を訪ね、相談に乗ってもらいます。 湯婆婆と、銭婆。 「欲」と「良心」。 どちらも、誰でも持ち合わせているものです。 しかし、この両者が両立しないという状況は、存在します。 宮崎駿監督が伝えたかったのは、 「二面性を持たないと、この社会システムでは生きられない」 という事だと思います。 「湯婆婆」の強欲で、お金第一主義で、人を大切にしないキャラクター。 その正反対の 「銭婆」の、心を感じられ、愛情があり、質素で、人を大切にするキャラクター。 銭婆「あたしたちは二人で一人前なのに気が合わなくてねぇ」 そうです。 「欲」と「良心」というものは、全ての人が持っているのです。 しかし、それを切り離して「二面性」を持たなくては、生きられない社会になってしまっているのです。 分かりやすい例だと「ハク」がそうです。 二重人格キャラですよね。 千尋に「優しい心」を見せたかと思えば、湯婆婆の元で生きるため「心ない冷徹で効率的」な人にもなる。 ・・・この社会は、そうなってしまうシステムがあるのです。 二面性無くして、生きられなくなってしまっているのです。 「会社ではひどい上司だけど、家では良いパパ」 こういう人は、沢山いるのだと思います。 宮崎駿監督は、 『二面性を持たずしては生きられない社会ではダメだ』と、言いたいのではないでしょうか。 この社会は、「良心より欲を優先するようにさせるシステム」があります。 良心も欲も、両方あって一人前の人間です。 しかし、欲を優先するばかりで、良心の部分がないがしろになってしまう、社会になってしまっています。 本当は、欲も良心も、両立できるはずです。 「他者を優先する気持ち」というものは、人間誰しも持っています。 心理学的に言うところの「返報性」というやつです。 皆、本来それを持っているのに、その優先順位が低くなってしまっているのです。 「欲よりも、心を優先する社会システム」は、作れるはずです。 それが、目指すべき良い社会であると、僕は思います。 ・・・カオナシは、湯婆婆の環境を離れ、銭婆の元に居場所を与えられて働くことになります。 そして、描かれてはいませんが、カオナシは本来持っていた「素朴な良い心」を引き出して働いていくのだと思います。 どんな悪い人も皆、この社会システムにいるから、そうなってしまうのです。 この社会システムに間違いがあるのだと、宮崎駿監督は伝えたいのだと思います。 この社会のあらゆる問題は、 この社会システムの間違いから始まる。 千尋が最後に、豚の中から両親を探すとき、この中に居ないとなぜわかったの? 千尋が「もとの世界に戻るために呪いを解く試練」として、湯婆婆から問題を出されます。 「沢山いる豚の中から、千尋の両親を探し当てろ」という問題です。 そして千尋は答えます。 千尋「おばあちゃんだめ、ここにはお父さんもお母さんもいないもん」 みんな「大当たり~~!」 ・・・そして、千尋の呪いは解けます。 ・・・ここが、見てる人にとって一番の 「なんで?」ってポイントだと思います。 この社会には洗脳があり、 全ての人が、大なり小なり、洗脳されてしまっています。 それを解くための方法は 「挑戦」なのです。 目的を持ち、挑戦し、失敗し、反省することで、自分の中の間違った情報(洗脳されていた部分)に気付くことが出来ます。 そして、その間違った情報に気付き、取り除いて行くことで洗脳から解放されて生き、理想的な人生が手に入ります。 (詳しくは過去の記事をご参照ください) 千尋は、湯婆婆の作る環境の常識にとらわれず、 「元の世界に戻る」という目的を持ち続け、沢山の挑戦と失敗を繰り返したことで、湯婆婆の洗脳が解けたのです。 奪われかけた名前を、取り戻したのです。 つまり「自分は誰で何をしたい人か」を取り戻したのです。 ・・・その「洗脳から解放された千尋」だから、たくさんいる豚を見た時に「明らかに、ここに両親はいない」と分かったのです。 「洗脳され切った人」と、 「洗脳されていない人」とでは、 世界の見え方が違います。 宮崎駿監督は、それを伝えたかったのだと思います。 ・・・さて、ここでクエスチョンです。 ではなぜ、映画を視聴している観客である我々は 「あの中に両親が居ない」と、分からなかったのでしょうか? あのシーンについて、どのように目を凝らして、並んでいる豚さんを見ても、 観客の我々には、本物の両親を見つけられなかったはずです。 見つけるためのヒントのようなものも描かれていません。 ・・・これは、宮崎駿監督なりの、風刺であり、ブラックなジョークに見えて仕方がないのですが。 我々が見えなかった理由は、 「我々が皆、洗脳されているから」です。 ・・・これは、笑うところです。 あのシーンを通じて 「みんな社会に洗脳されてんだよ!」 という事を、宮崎駿監督は我々に伝えたかったのだと思います。 これは、スタンディングオベーションすべき、強烈な、ナイスジョークです。 ・・・これは、さっきの宮崎駿監督の 辛辣なジョークの「お詫び」のように感じています。 色の違いに気付けたお客さんに、 「ほら、みんなも洗脳から解けて、見え方が変わってきているよ」 という事を、伝えているのだと思います。 あの髪留めは、千尋の力になってくれた「銭婆」が、千尋にプレゼントしたものです。 物語が終わり、千尋からあの魔法の世界の記憶が薄れても、髪留めだけは残るのです。 「こんな社会でも『心を優先し、与えることを優先する事』が必要だ」と 宮崎駿監督は伝えたいのだと思います。 自分のための欲よりも、他人のための良心を優先し、「他のために与えたもの」は、世の中に残り続けるのです。 逆に、欲を優先し、「もらう事」を優先しても、何も世の中に残すことは出来ないのです。 「墓までは持っていけない」というように、 自分だけのために手に入れたものは、 自分が死んでしまえば、自分の物語が終わってしまえば、消えてしまうのです。 ・・・しかし、今生きている間に「他に与えたもの」は、世の中に残り続けます。 物やお金もそうですし、 知識や知恵もそうですし、 人を助けたり元気づけたりして与えた「エネルギー」もそうです。 それは、たとえ自分が死んでしまっても、 世の中をめぐり続け、世の中に残り続けます。 「生きている間に、他にどれだけエネルギーを与えたか?」それが、価値のある人生であるのだと思います。 それを伝えたかったのだと思います。 ・・・ちなみにこれが、当ブログ『RINRISM』のメインテーマだったりします。 最初のシーンと最後のシーンで、変わらずに母にくっついて歩く千尋 最初と最後で、同じシーンが描かれています。 変わるという事は、簡単ではないのだと、言いたいのだと思います。 それでも、挑戦し、反省し、洗脳から脱却し、少しずつ成長し続けることが必要だと、言いたいのだと思います。 なんでこんなにまどろっこしいメッセージの発信の仕方なの? ここまでに書いてきた「宮崎駿監督が伝えたかったメッセージの考察」ですが、 これが仮に全てが「当たり」だったとして、 「なんでこんなに遠まわしで、まどろっこしいメッセージの伝え方なの?」 という疑問が湧きます。 どんなに人に役立つ良いメッセージを持っていても それを発信するために、映画を作るためには、 当然、「お金」が必要です。 スポンサーが必要です。 スポンサーは、この社会でお金を持っている権力のある、企業や人だと思われます。 スポンサーからお金を集めるために ストレートに「この映画のテーマは、資本主義社会の洗脳から脱却です」 といっても、ほとんどのスポンサーはお金を出してはくれないでしょう。 スポンサーのほとんどは、この社会システムで大儲けしている人です。 洗脳から脱却され、今の仕組みが壊れる事が、都合の悪い人です。 ・・・または そこまで深読みしなくても、 単純に 「メッセージやテーマがシビアに見えては、売れない」ということかもしれませんね。 売れて沢山の人に見てもらえなければ、せっかくの価値あるメッセージが、広がって行かない。 ・・・これもまた事実です。 メッセージ性を取るか、大衆受けを取るか。 これは、メッセージを発信する人たちにとって、永遠のテーマだと思います。 両立する道を、探したいですね。 そして、宮崎駿監督の作品は、それこそ芸術的にこれを両立できていると、僕は感じます。 ・・・いずれせよ、何らかの理由で、表向けのテーマは別のものにして、 「本当のテーマのメッセージは、あえて隠している」 という事だと、ぼくは思います。 そうすることで、 真実の情報を発信できないこの社会の中でも、 「表現方法を駆使して、発信していこう」としているのではないかと思います。 ・・・しかし、ここは深読みのし過ぎかもしれません。 ・・・何度も申し上げますが、ここまでの「考察・解釈・謎解き・解説」は全て「ぼくの主観」です。 合っているかもしれないし、まるで違っているかもしれません。 宮崎駿監督に、「この解釈どうですか」と聞いてみたいです! 「ぜんぜん違う!」 と、おっしゃるかもしれませんね(笑) とはいえ、 ここまで深く考えさせる映画をお作りになられた 宮崎駿は、まさに天才だと思います! 長文になってしまいましたが、 読んで下さり、ありがとうございました! この記事を気に入って下さった方、ぜひ、トップページから他の記事も読んでみて下さい。 『本物の人生』を全ての人が謳歌できる社会に向けて、価値の有る情報を配信しているブログです。 心と思考の明確家【Clearist(クリアリスト)】として活動しています。 『より良い社会を作りたい。 困っている人を助けたい。 』 この思いのもと、ネットでブログやYOUTUBEでの情報発信活動。 対面にてカウンセリング・コーチングの活動をしています。 関わった人の「心と思考」をすっきり明確にし、皆の悔いのない人生のために全力で貢献していきます。 この社会には、余りにも多くの「嘘」「捏造」「曖昧」「複雑」な情報が存在しています。 そして、悩みや問題に直面しても解決ができいなモヤモヤした状態に陥り、自分の理想と現実というものがどんどん食い違っていきます。 …この解決のために、ぼくがいます。 お気軽に何でもご相談ください。 出来る限りお答えします。 sora とても素敵な文章を有り難うございます。 まさに探し求めていたものに辿り着けて、読んでいるうちに涙が溢れてきました。 私はこれまで、自分に正直に生きることを何よりも大事にしていて、資本主義社会のおかしさに気づき始めていました。 そんな私にとって、洗脳の始まりともいえる学校という場所が苦痛で仕方ありませんでした。 今もそうです。 世の中は洗脳された人がほとんどで、違和感を伝えようとしても「考えすぎ」「気持ちの持ちよう」で済まされてしまいます。 ふと気になって調べた大好きな作品の中にその答えが隠されていたなんて、こんなに感動的なことはありません。 人生と映画が繋がっているようです。 私事ですが、学生の私には可能性も選択肢もまだまだあります。 自己完結で済ませずに、社会にこのメッセージを伝えていくこと、影響を与えていくことを強く心に決めました。 現代の社会システムのおかしさに気づきながら生きるのは辛いけど、戦って行こうと思います。 きっとそれが、「自分の生まれた意味」だから。 soraさん。 心が熱くなるコメントを下さり、誠にありがとうございます。 そう言って頂けますと、書いてよかったと、本当に思います。 「自分に正直に生きる」という生き方。 素晴らしいです。 僕はそれを「心と言葉と行動を一致させる」と呼んでいます。 資本主義もそうですし、日本も世界も、社会のどこを見ても「おかしい」のです。 「現実」という結果を見て、 おかしな事や、嘘や、理不尽な事だらけなのに、まるで有効な対策を取らない社会なのです。 そして、それに慣れてしまって、「これが当たり前」と、感覚が麻痺してしまっている人が、ほとんどです。 そもそも、その「当たり前」「社会常識」「社会通念」と言うものが、間違っていて、嘘であり、洗脳です。 民をコントロールするために、誰かが作った、都合の良いルールです。 soraさんが感じられてきた「おかしい」「違和感」「なんだか合わない」という感覚。 僕から見てその感覚は、正しいです。 僕も、同じように感じています。 ただ、そういう正しい感覚を持った人が、うまく生きるのが難しい、この社会なのです。 根本的には誰も悪くない。 人を作る、社会が悪いのです。 社会を、根本的に改善していく事が必要なのです。 反対運動のような活動では、社会の根本的はなかなか改善しないと思っています。 では、どうすれば良いのか?ですが 「自分に正直に、心と言葉と行動の一致」 「自分も皆も、みんな幸せ。 両福」 「常に明るい方向を向いて、前に進む」 これにつきます。 いま、これから、どんな場所に居ようとも。 どんな仕事に就こうとも。 自分に正直に生きて、皆の幸せを願って、明るい方向を向いて生きていく。 これにつきます。 「類は友を呼ぶ」ように、 自分と合う人と、出会えます。 人は皆、合う人と一緒に居たいものです。 ぼくの文章に出会ってくれたように、必ず出会えます。 単純に、soraさんが、soraさんを生きる事です。 そして、環境を手に入れる事です。 「社会を良くしたい」と、同じ志の人たちが集まる、コミュニティを作るか、見つける事です。 その環境で、みな幸せに、みな学び、みな育ち、みなが影響力と情報の発信力を持つ。 その環境が、拡大していく。 この先に、社会の根本的な改善があると、僕は思っています。 ふと、千と千尋って何が言いたいんだろう?と突然気になり、こちらのブログを拝見しました。 すっと、頭に入ってきて、すごく納得できました。 わたしは現在、留学中で、また来年は就職活動をする学生です。 やっと自分について、自分の内面について目を向ける時間が出来、自分って何だろう?何がしたいんだろう?今まで何をしてきたんだろう?と自分探しの迷子中です。 また、私の留学先は、日本の裏側にある国で、GDPなどの経済指標も日本と比べると「発展途上国」なのかもしれません。 でも、この国の人は、日本の人より幸せそうで、自己肯定感が高いようにわたしには思えます。 そのような、異なる文化の中で、幸せって何だろう?と、貨幣の存在に不信感?のようなものも感じてきました。 正解がなくて、ずっと悩んでいたのですが、この記事や、他の記事も拝読し、考えを進めるヒントになり、少しスッキリしました。 長い文章になってしまいましたが、感謝の気持ちをお伝えしたくて、コメントさせていただきます。 honokaさん。 素敵なコメントをありがとうございます!励みになります。 少しでもお力になれるよう、これからも記事を書きます! 自分探しの活動、とても良いと思います。 「私は誰で、何をしたい人か」。 全ての人は自身のそれを見つけ、その人生を歩むべきだと思います。 結局、突き詰めれば「何が好きで、何が嫌いかが、自分」です。 要するに「自分は何をする事に、エネルギーが湧くのか、ワクワクするのか」という事です。 どうせなら、よりワクワクする人生の方向性を生きるべきだと、僕は思います。 その自分の人生の方向性を生きている状態が、幸せだと思います。 一般社会的には「お金できる限り稼いで安定する」という一つの方向だけを向かせようとしていますが、それだけではありません。 「人生の方向性」は、膨大な種類があります。 とは言え、人間は誰しも、知っていることしか知らないのです。 知らなければ、憧れる事も、目指す事が出来ません。 そこで、色んな人と出会い、人をよく見て「たくさんの人生の方向性を知る」という事が、大切です。 知って行く中で「これだ!」と憧れる、人生の方向性が見つかるはずです。 なので、honokaさんが今、留学によって、 場所を変え、環境を変え、居る人を変えているという事は、素晴らしい事だと思います。 きっと、色んな人に出会うと思います。 きっと、憧れる人生を生きている人にも出会うと思います。 そしたら「私は誰で、何をしたい人か」という事が、その憧れを通じて、分かると思います。 焦らずじっくりです。 一日一日、明るく楽しく生きるという事が一番です。 大学の授業で映画の作品分析をしていてこちらのサイトに辿りついたものです。 このサイトを最初に読んだとき、小さいときに見ていた映画はこんなに奥が深かったのだと改めて考えさせられました。 私も名前という自分の名札、肩書きに踊らされ、洗脳されて無理に納得して前に進んでしまっていたうちの一人でした。 好きか嫌いかという二択で生きているだけなのにその中で多数の人の意見に流されしまう、人生とは難しいですね。 奪う人生ではなく与えられる人生を生きられるようになりたいものです。 サイトに感動して思い切って感想を書いてしまい、あまり文がまとまっていなくてすみません。 考えと価値観にとても感動し、共感しました。 これからもこのサイトが沢山の人の心に響きますように。 みこさん 宮本です。 心のこもったコメントを下さり、誠にありがとうございます! 本当に励みになります!! おっしゃる通りです。 頑張って生きようとしているだけで、知らず知らず、社会に流されてしまいます。 そして、流されていくうちに「自分が本当に生きたい人生」から、遠ざかってしまいます。 やっぱり生まれて来た以上、『本当にやりたい事』を目一杯やっていきたいですよね。 それを目一杯やって、人を喜ばせて、与える事を優先する人生を生きる。 こう生きていきたいと強く思います。 本当は、それが当たり前に出来る社会でなくてはいけません。 しかし、こんな社会である以上、本当にやりたい事をやるためには、学ぶ必要があるのです。 これからも僕は、僕がそのために学んで来た事をブログに書いて行きたいと思います。 加えて、こんな社会である以上、 ご自身の「本音」「本心」を発見し、見据え、表現する事がとても大切です。 そして、本音や本心を互いに引き出して語り合える「本物の話し相手」「本音で語れる環境」が必要なのだと、 最近強く思っています。 この社会では、本心よりも、表面を合わせる事が優先されてしまっています。 それが原因となり様々な問題が解決に向かわず、そしてほとんどの人が「本当にやりたい事」を出来なくなってしまいます。 …そう思って、最近僕は「職業は、最高の話し相手です」と言うようにしています(笑) そしてこれから、そういう環境を作るために動いています。 電車の運転手さんについてです。 たしか、あの電車は自殺した人が乗る電車ですよね。 運転手さんも透けていた、つまりあの人も自殺をされたのでしょうか。 終点についてしまったらあの人はどうなるのでしょうか? とても気になっているのですが納得のいく考えが思い浮かびません…。 今ふと思ったのですが、カオナシが透けているのと、電車に乗っている方たちが透けているのは、なにか関係があるのでしょうか。 宮本さんの考えが知りたいです! このサイトをみていて、改めて宮崎監督がひとつひとつの映画を大切に製作しておられるのだと感じました。 その思いとじっくりと向き合っておられる宮本さんはすごいです! わたしもメッセージを読み取ろうと思うのですが、情景描写などの読み取りが苦手で、頭がパンクしてしまいそうになります。 それができるようになったら、さらに映画鑑賞が楽しくなるのに、と思います。 今から、宮本さんの解釈をもとに、もののけ姫を観賞したいと思っております。 再び疑問ができましたら、質問をしたいと考えていますので、またお付き合い願います。 最後までお付き合いしていただき、ありがとうございました! てとさん。 ご丁寧なコメントを下さり、誠にありがとうございました! 大変励みになります! てとさんから、「電車のシーン」についてのご質問を頂いて、 改めて僕もそのシーンについて、考察してみました。 ブログの記事ではスルーしてしまっていたシーンですが、 今思えば、このシーンもまた、とても印象深いですよね。 何かメッセージが込められていると思います。 ここについて、あくまで僕の主観ですが、僕なりの解釈はあります! ただ、少し文章が長くなってしまう事と、 検証するために、そのシーンの映像をもう一度見直したいので、もう少しだけ待っていて下さい。 準備が整い次第、ブログの記事に、「追記」という形でアップロードします。 その時はまた、コメントにてお知らせします。 (^^) はい、僕にとっても考え直すきっかけになり、なにより楽しいので、 何か疑問がありましたら、ぜひ教えてください(^^) ありがとうございます! メイ こんにちは。 先週の金曜日に仲間たちと「千と千尋の神隠し」を見てきました。 宮本さんの解釈を読んでからの映画鑑賞はとても分かりやすく、心に伝わるものが多くすごく感動しました。 何回みても見るたびに得るものは違うと思います。 映画をみてからみんなと食事にいって感想を交わしたり、とても楽しい週末でした。 特に汽車に乗っているシーン、見てて涙が溢れてきました。 人の人生はお墓へ走る汽車に乗っているようだ。 途中にはたくさんの駅があるけど、ずっと最後までそばにいてくれる人はいない。 だからいてくれた人が降りる前に、いくらさびしくても、感謝の気持ちでさよならを言おう。 2年前に父親を亡くして、すごく悲しんできました。 千尋は汽車の中で人が次から次へと汽車から降りる人を静かに見ていました。 まるで自分みたく…. 世の中は再会と別れの繰り返し、父親はきっと違う世界で私を待っているのではと思ったらそんなに寂しくはないです。 なので父親の分も頑張って生きようと決めました。 中島みゆきさんの歌詞の中のようにたとえさよならでも愛している意味……とても意味深いです。 中国語の歌でFaye Wong 王菲-《你在終點等我》っていう唄があります。 日本語で訳すと「あなたは終点で私を待っている」です。 元は恋の歌なのですが、私は違う意味でこの曲を理解することになりました。 そばにいてくれた人、それで先に駅から降りた人たちはきっと人生を終着駅で私を待っていると…. とてもいい唄なのでおすすめしたいです。 最後にエンドソングの「いつも何度でも」が大好きです。 メイも歌えることになりました。 録音していますので送れるなら送ってみたいですが、残念です。 歌詞がとても意味深く歌っていてすごい感動を受けました。 聞いて歌って心が穏やかになります。 思いいたる所まで書いてしまい、失礼しました。 このサイトは何回も何回も読みました。 これからもまた読ませていただきたいと思います。 本当にここにたどり着いてラッキだと思います。 今後ともよろしくお願いします。 メィ 中国大連から メイさん ご丁寧なコメントを下さりまして、誠にありがとうございます! メイさんから、中国では先日から千と千尋の神隠しの映画が公開されたと聞いておりましたので、 中国の皆様がこの映画を見て、どのような感じになられたのかが、頂いたコメントから伝わってきました。 国は違いますが、日本の皆様と同じように映画を楽しまれたようで、なんだかとても嬉しい気持ちです! 映画のメッセージの解釈は、一人一人違っていて、十人十色である事が、素晴らしい事だと思います。 その中で、メイさんのこの映画の解釈に、このブログが少しでもお力になれたのでしたら幸いです! 一人一人これまでの人生の経験が違い、見え方も違います。 お父様を亡くされて、辛い胸中にいらっしゃるメイさんの見え方を通じて、 ぼくもまた、この映画の新しい見方をすることが出来ました。 本当にそうですね。 出会いが必ずある以上、別れも避ける事は出来なくて。 いくら寂しくても、感謝の気持ちでさよならを言って、前を向いて、その人の分も生きて行かないといけませんね。 中島みゆきをご存知とは、びっくりしました。 彼女の歌詞も、人生の真理を突いている言葉が沢山ありますよね。 おすすめ頂いた「faye wong」という曲も、後ほどYouTubeで探して聴かせて頂きます。 ところで、日本語が本当にお上手ですね!文章力もすごいです。 さらに、このブログではそれなりに難しいテーマについて書いているつもりですが、その日本語の文章を読解できるのもすごいです。 日本人より、日本語が上手だと思ってしまいます(笑)日本への留学の経験などがあるのですか? メールも下さりまして、ありがとうございました。 コメントだと長くなってしまいますので、続きは頂いたメールアドレスの方に送らせて頂きました。 ご確認ください。 ぜひ、また当ブログを見に来ていただいて、お気軽にコメントやご質問をしてください! ありがとうございました。 森薗漱志 突然のコメント失礼いたします。 この作品が好きすぎて、2004年に公開(当時私は小学生)されてから、すでに何十回も見ています。 年齢を重ねるごとに、見方も変わってきまして、最近時は作品全体のメッセージ性について考えていたところでして、このページを見つけました。 大変参考になります。 資本主義への風刺、、だなんて想定外でしたし、とても解説が分かりやすかったです。 しかも偶然、最近社会人になり、一日10時間、週5日も拘束されて働くことへの疑問をもちはじめたところだったんです。 本来自由なはずであるのに、なんでこんなに拘束されてるんだって。 しかもなんで周りは、疑問を持たないんだって。 ああ、結局、資本家の陰謀なんだよなって。 だからそれが、大好きな映画の大きなメッセージであったと分かり、感動しました。 記事を作っていただき、ありがとうございます。 感謝しています。 これからもこういう解説記事を作っていただけると大変うれしいです!! ご丁寧な熱いコメントをありがとうございます!大変、励みになります! ちょっとややこしいニュアンスですが、 「働く」のは良いこと、「働かされる」のは良くないこと。 と、僕はこう思っています。 要するに、「働く」という活動をするにあたって、自らの意思と目的を持ってやるような主体的な状態であるか、それとも誰かに言われて仕方なくやるような客体的な状態であるか。 という違いです。 自らの意思と目的を持って主体的に行う「働く」は、本当に価値が高いと思っています。 その目的のために、沢山のことを学び、能力が身につきます。 しかし、この社会は「働かせる」の仕組みが強いです。 自分の意思・目的というものを抱かせることなく、働かなくては生きて行けないような仕組みです。 本当は、社会がすべき事は「保証」だと思っています。 人々の生活を完全に保証してしまう事だと思います。 その上で皆、自分の個性を生かして、好きな事を追求して、負けたくない事で競争して、協力し合って、他に恩恵を与えるサービスを作って行くのが、僕の社会の理想像です。 しかしながら、今の社会は、なかなかそうなって行かなそうです。 だからこそ今、我々一般庶民が出来ることは、 「本音本心で繋がること」だと、思っています。 繋がって、当たり前のように助け合って、互いを保証し合う事だと思います。 「自立」ではなく、「共存共栄協力」こそ、あるべき姿だと僕は思います。 海を越え、文化を越え・・・・ジブリはもはや共通言語だ!同感です。 暖かいコメント、どうもありがとうございます。 心が癒されました! 「いつも何度でも」の曲にあわせて、中国語の歌、《你在終點等我》by Faye Wong 王菲をぜひ聞いてみてください。 今日はカオナシのことが思い出しました。 カオナシは「欲しい」が口癖、いつももらうことばかり考えているように見えますが、千尋に対してはいつも与えていて助けてあげようとしています。 きっと千尋のことが好きだったと思います。 ここからまた思ったのは恋っていうのは自分の思うままにはいかない、いくら好かれたとしても好きになることにはつながらない時があるのですね。 千尋はカオナシをかわいそうと思っているだけで、実際すきなのはハクのことです。 でもカオナシは多くの画面で千尋のそばにいました。 一瞬カオナシがかわいそうに見えました。 宮本さんのコメントのようにいくらブッラクなカオナシでも実は心のどこかは優しいいい人です。 生まれてから悪い人はまずいないのですね。 今日はカオナシの顔が思い浮かんでまたコメントを残しました。 よろしくお願いします。 メイ メイさん コメントとメールを下さり、ありがとうございます! 以前教えて頂いた「Faye Wong 王菲」さんのこの曲を、昨日にYouTubeで発見してから流して聴いております。 素晴らしいボーカリストですね!ぼくは中国語を読めませんので歌詞は理解できませんでしたが、メロディーと歌声が素晴らしく、作業用のBGMとしてリピートして聴いております。 素敵な曲を教えて下さり、ありがとうございました。 日本と中国は、政治的な都合の影響で、互いの情報がなかなか交換できない状況にあると思います。 実際に知り合いに居れば、情報を交換して共有する事が出来ますが、 特に、インターネットでの情報の交換が、難しくなっているのを感じます。 日本のマスメディアは政治的な方針が強く反映され、意見が偏っています。 それこそ、この千と千尋の神隠しのテーマにあるように、洗脳じみているメディアも沢山あります。 まだ中国には行ったことがないので分かりませんが、きっと中国でもこの「政治的なメディアの意見の偏り」というものは、あるのではないかと思います。 日本でも、中国でも、その他の国でも、 もっと互いの真実の純粋な情報を、リアルタイムで共有する事が出来たのなら、 国の違い、文化の違い、宗教の違い、あらゆる違いを超えて、 もっと仲良く、もっと楽しく、繋がっていけるはずだと思いっています。 TVや新聞などのマスメディアがダメなら、インターネットで個人がメディアになって行くことが、今の時代に必要だと思っています。 しかし、特に中国と日本の間には、そのインターネットでの繋がりに壁があるのが、悩ましい所です。 そういった意味で、メイさんがその壁を越えて、このブログを見つけて下さったことには、強い希望を感じております。 これからも、メールやコメントで、色々教えてください。 いつもありがとうございます! りゅう 昔はこのアニメを見たけど、あまり印象はありませんでした、まるでハクについての記憶を思い出せない千尋みたいですね。 今月、やっと正式版は中国で上映でき、私と妻が一緒に見ました。 妻と共感することは千尋の親、特にお母さんが千尋に冷たい感じも謎ですが、 やっぱり一番理解できないことは豚の集団の中に親がいないことをどうやってわかったかです。 日本のサイトをいろいろ探し、いろいろ答えがありました。 例えば「自然保護に加えてトトロの世界に共通する宮崎監督のいつも伝えたいメッセージである「純粋な子供には見える大切な事」だと思います。 」のような答えもあって、 「宮崎駿監督のコメント 最後の豚の集団をみて、千尋がお父さんとお母さんがそこにいないとなぜわかったのか説明していない。 理論としておかしいと、説明を求めるタイプの人たちがいる。 でも、僕はそういうのを大事だと思っていないから。 これだけ経験を経てきた千尋は両親がいないことがわかる。 なぜわかるか、でもわかるのが人生ですよ。 それしかないんですよ。 そんなにここが欠けていて、あそこが欠けていてって、指摘ができるなら、観客が自分で埋めればいいんだから。 僕はそんなところに無駄な時間を費やしたくないんですよ。 」のような公式でもはっきりしない答えもあります。 最終的に、このページにたどり着いて良かったと思います。 一番納得で、大人らしい答えを見つけました。 ありがとうございます。 コメントいただけたら幸いです。 中国吉林省長春市 りゅうより りゅうさん コメントを下さりまして誠にありがとうございます! つい最近、中国で「千と千尋の神隠し」が上映されるようになったそうですね。 りゅうさんの他にも中国の方がコメントを下さり、教えて下さりました。 りゅうさんも日本語が素晴らしくお上手ですね。 この宮崎駿監督の公式のコメントの事は、ぼくは知りませんでした。 とても参考になります。 そしてこの監督の意見に、ぼくも同意です。 映画でも絵画でも、芸術作品と言うものは「見る人によって見え方が違う」という所が、その価値なのだと思います。 一人一人、その人のこれまでの人生の経験によって、見え方は違います。 そして、見え方の違いこそが、人と人の違いであり、つまり個性なのだと思っております。 そして、一人一人が自分のその違いや個性を活かして、互いに力を合わせて組み合わさって行くことこそが、より大きな発展を生むのだと、ぼくは考えております。 そして、その人それぞれの見え方の違いに気付かせてくれる芸術作品と言うものが、ぼくは好きです。 さらに言えるのは、見え方というものは一人一人違うにしても、作品から受け取るメッセージがみんな違うにしても、 「より良い方が、良い」という事です。 自分の人生の成功のためにプラスになったり、社会の改善や発展のためにプラスになったりするような『より良い見え方・より良い受け取るメッセージ』があるはずです。 そして、それを発見するためには、『一人一人の見え方や、受け取ったメッセージについて、同じ立場で共有し合う』という事だと思っております。 共有する中で、より良いそれを磨き合い、より良いものが見つかって行くのだと、ぼくは思います。 そして、それが見つかった時、その芸術の価値は最高に高まるのだと思います。 さらに、ぼくがこのブログを使って、自分の考察を書かせて頂いているのは、 先述した「見え方と受け取ったメッセージを、磨くために共有する」という事のために有ります。 そういう意味で、 ぼくは日本人ですが、国や文化を超えて、中国人のりゅうさんが記事を読んで下さり、そして共感してコメントを書いて下さり、互いの見え方を共有する事が出来て、本当に嬉しく思います。 「人と社会のために、より良い方が良い」という前提となる価値観のもと、 国を超えて、文化を超えて、あらゆる違いを超えて、 このようにして、互いの意見を共有し合い、 そして、互いの意見を磨き合い、高め合う事が出来たのなら、 それは、より良い社会、より良い世界への、大きな一歩なのだと思います。 …このような目的で、ぼくは情報発信の活動をして行きたいと思っております! また何か感じるものがありましたら、ぜひコメントやご質問をしてみてください! コメントを下さり、ありがとうございました。

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《千と千尋の神隠し》言われて気付く、カエルの名前や脇役キャラたち

千と千尋の神隠し 裏話 公式

宮崎駿監督作品としてはここが腕の見せ所と言ったように八百万の神々の造形など絢爛豪華です。 一方で、カオナシと言った化け物を登場させて現代社会を皮肉るその手腕も大変光ります。 「千と千尋の神隠し」のキャスト 「油屋」という名の湯屋は、八百万の神々がやって来るところで、その経営者の脳魔女の湯婆婆を夏木マリが演じ、ボイラー室で釜を焚く釜爺を菅原文太が演じて物語に重みを出しています。 主人公の荻野千尋 千 を柊瑠美が、千を助ける白竜の化身のハクを神木隆之介が演じています。 「千と千尋の神隠し」のあらすじのネタバレ 10歳の少女・ 荻野千尋 声:柊留美 は父親・ 荻野明夫 声:内藤剛志 と母親・荻野悠子 声:沢口靖子 と一緒に引越し先に向かう途中に道を間違え、やがて、森の中でトンネルを見つける。 父親がトンネルに入ろうと言い、母親もそれに付いて行きます。 千尋は一人で残ると言うが、奇怪な造形に彫られた岩が怖くて、仕方なく両親の後を追う。 トンネルを抜けると目の前には草原が広がっていて心地よい風が吹いていた。 父親は、バブル時代に各地で作られたテーマパークの一つと言い、どんどんと先に進んでしまう。 千尋も仕方なく付いてゆくが、川を作ろうとした跡を渡るとき、父親が美味そうな匂いに気付く。 両親がブタになる その匂いの元をたどってずんずんと進む父親と母親は、無人の街でついに匂いの元の場所である食べ物屋を見つけてしまう。 そこには御馳走が山盛りに並んでいて、店の人を呼ぶが、誰もいないのか、返事がない。 あとで、支払えばいいと、両親は食べ始めてしまうのだ。 しかし、千尋は嫌がって食べなかった。 無人の街が不思議で仕方なかったのか、千尋は無人の街を一人ふらふらと経巡り出す。 そして、八百万の神々の湯屋である「油屋」に出てしまう。 電車が走る音がするので太鼓橋の欄干から橋の下をのぞくと電車が通り過ぎていった。 と、その時にハク 声:神木隆之介 が現れ、「ここにいちゃだめだ」と千尋を帰そうとするのであるが、油屋の明かりが灯り始め、時は急を告げていて、千尋は急いで両親のところに戻る。 しかし、両親は、なんと豚に変わっていて、千尋は怖くなってそこから逃げ出すのだ。 千尋は一人で元来たところを戻るのであったが、途中、川にはなみなみと水がたたえられていて、もう、戻れないのである。 川のそばに船が着き、仮面を被った神々が次々と船から降りる。 そのそばに今までに見た事がないものばかりで、全て夢だとうずくまっていた千尋の体は透け始めてしまう。 そこにハクがやってきて、このままだと千尋は消えてしまうと言ってこの世界のものを食べると消えずに済むと言って木の実か何かの種かを千尋に食べさせる。 途中、青蛙 声:我修院達也 に人間と気づかれて、ひとまず油屋の植木の中に身を隠す。 ハクにボイラー室の釜爺 声:菅原文太 のところに行き、何を言われても「働かせてください」と言うことを告げられ、一人ぼっちになってしまう。 千尋は勇気を振り絞ってハクに教えられたとおりに油屋の外階段を通って何とか釜爺のところにたどり着くのであった。 釜爺は蜘蛛男のように手足が6本あり、寸暇を惜しんで働いていた。 千尋は初め小さな声で釜爺に話しかけるが、忙しく働く釜爺の耳には届かず、千尋は声を振り絞って「働かせてください」と言うのであった。 そこに魔法で命が吹き込まれた煤の化身のススワタリが石炭を運んでぞろぞろと巣穴から出てきて、ボイラーの釜に石炭を投げ入れられている。 「ここは人手が足りている」と言って釜爺は千尋の申し出を断る。 すると、ススワタリの一匹が石炭に押しつぶされてしまった。 千尋が石炭を持ち上げるとススワタリは元通りに復活するが、巣穴に逃げてしまう。 石炭の始末に困っていた千尋に釜爺が引き受けた以上、最後まで行え、と言い、千尋は石炭を釜へ運んで投げ入れるのであった。 それを見ていたススワタリは千尋に仕事を肩代わりしてもらおうと全員が、石炭に押しつぶされたふりをし、千尋は石炭の山に囲まれてしまう。 釜爺はそれを見て怒るのであるが、そこにリン 声:玉井夕海 がやってきて、飯を持ってきたのであった。 釜爺は「飯だ」と言って釜氏爺は天丼を、ススワタリたちは金平糖をリンからもらう。 リンと出会い、湯婆婆に面会する リンは千尋を見つけ、釜爺に湯婆婆 声:夏木マリ のところに千尋を連れて行ってくれと、イモリの黒焼きで頼むのである。 礼儀がなっていない千尋にいちいち注意するリンは仕方なく、何とか千尋を湯婆婆の執務室へと連れ出すことに成功する。 扉を開けようとする千尋。 「ノックもしないのかい」とここでも礼儀がなっていないことを注意される千尋。 湯婆婆に「おいで」と魔法で湯婆婆のいる部屋に引っ張り込まれてしまう。 千尋は「働かせてください」の一点張りで、湯婆婆に「お前に何ができるんだ」と怒りに打ち震え、机の上のものが怒りで散らかり、湯婆婆に断られてしまう。 千尋から千へ その時、坊 声:神木隆之介 がドアを蹴破り暴れ出したので、坊をなだめる湯婆婆。 すると、散らかった書類の山から一枚千尋の元にペンと共に飛んできて、契約書に名前を書くように湯婆婆に言われる。 そして、湯婆婆は、千尋が書いた「荻野千尋」という名前から千のみを除いて名前を取り上げるのであった。 「これからお前は千だ」と湯婆婆に告げられる。 千はリンの下で働くことになる。 千とリンは大釜担当になり、長年洗ってない大釜を洗うのであったが、埒が上がらず、千に番台で薬湯の札をもらってくるようにリンに言われる。 しかし、番台蛙 声:大泉洋 は札をくれないのである。 そこに千が大釜の掃除の途中、親切にしたカオナシ 声:中村彰男 が現われ、上等の薬油の札を千に渡すのである。 リンが一通りお湯の注ぎ方を千に教えると、薬湯がなみなみと大釜に注がれるのであった。 オクサレ様 一方、湯婆婆は何かとんでもないものが油屋に潜り込んだと勘づく。 ところが、ヘドロの塊のようなオクサレ様が油屋にやってくる。 湯婆婆は千にオクサレ様の相手をするように申しつけ、千は大釜へとオクサレ様を連れて行くのであった。 大釜の湯ではヘドロは洗い流せず、千は、カオナシがさっき持ってきた薬湯の札の束から薬湯の札を釜爺の元におくり、また、リンも釜爺に薬湯をありったけ注ぐように頼んだのであった。 ヘドロが洗い流されたオクサレ様には何か異物が刺さっていて、それを油屋のみんなの力を合わせて引っこ抜くと、自転車などゴミの山が溢れ出したのだ。 最後の釣りの浮きを千が引っこ抜くとオクサレ様は真の姿の翁の姿を千に見せ、ニガダンゴを千に渡して、また、大量の砂金を残して油屋から去るのであった。 カオナシの傍若無人の振舞 湯婆婆に褒められる千。 その夜、番台にはカオナシがいるのであった。 青蛙がカオナシに「お前のいるところじゃない」と注意するとカオナシは手から金を出し、青蛙をおびき寄せては呑み込んでしまう。 話し言葉を得たカオナシは、金をばらまいては贅沢三昧をするのであった。 途中、カエルの化身である兄役 声:小野武彦 と蛞蝓女を呑み込んでしまう。 それから油屋は恐怖に包まれる。 血塗れのハク そんな事態が起きているとはつゆ知らず、千は、雨で海のようになった湖面を眺めているとそこに白龍が何かの群れに追われているのを月の明かりの下、目にする。 それがハクだと自然と気付いた千は、ハクが千達が寝室にしている部屋に飛び込むと窓を閉め、ハクを追ってきた湯婆婆の姉の銭婆の魔法の紙人形をなんとか食い止める。 ハクは血を吐いていて、のたうち回りながらも湯婆婆の部屋へと赴くのだ。 千は湯婆婆の部屋へと外のハシゴを伝ってなんとかたどり着く。 しかし、千には一枚の紙人形が着いていて千が白龍の元にたどり着くと銭婆の姿を現わすのであった。 そして、坊などに魔法をかけて坊はネズミに変えられてしまう。 ハクが紙人形を力を振り絞って破ると銭婆も消えたのだ。 白龍は穴に千と共に落ちて、釜爺のいるボイラー室にたどり着くのであった。 「こりゃあひどい」と釜爺が言うと、千はオクサレ様からもらったニガダンゴを半分に割って白龍に呑み込ませる。 すると、白龍は銭婆の大切な印鑑と墨の化身を吐き出すのであった。 千は墨の化身を踏み潰し、えんがちょを釜爺とするのである。 千は釜爺に銭婆のところに行って印鑑を返し、謝ってくると言い、釜爺は電車の40年前の回数券を千に渡す。 そこにリンがやってきて、千に湯婆婆が読んでると告げるのだ。 千は湯婆婆のところに行き、カオナシの相手をさせられるのである。 カオナシは、千を喜ばせようとご馳走や金を差し出すのであるが、千はいらないと言ってカオナシを怒らせる。 千は「私を食べる前にこれを食べて」とカオナシにニガダンゴを食べさせ、更にカオナシを怒らせるのである。 しかし、カオナシは、これまで食べたものをヘドロとして吐き出しながら、逃げる千を追いかける。 途中、カオナシは兄役と蛞蝓女を吐き出し、尚も千を追うのである。 千はと言えば、リンが用意していた桶舟に乗って電車のホームへと行く。 そして、カオナシに「こっちだよ」と言う。 カオナシは最後に青蛙を吐き出し、千の後をついて行くのであった。 千とカオナシは電車に乗り込み、銭婆のところへと向かう。 銭婆のところへ 銭婆の住む「沼の底」駅につくと、一本足のランプが千達を迎えに来て、銭婆の家へと先導するのであった。 怖いと言われていた銭婆はなんとも優しい老魔女で、千達におもてなしをする。 銭婆はゆっくりしておゆき、と千に言うのであったが、千はハクが心配で帰ると言うのだ。 銭婆は千のために髪結いを編んでいたのであった。 と、そこにハクが飛んできた。 銭婆はハクを赦したのである。 銭婆に別れを告げた千はハクに乗って帰る。 ハクの角を掴むと千は幼い頃川に溺れた話を母から聞いたと言ってハクに話すのであった。 その溺れた川の名はコハク川と言い、ハクはその川の神で、本当の名を思い出す。 その名は「ニギハヤミコハクヌシ」と言い、すると、ハクの鱗が剥がれ落ちハクは竜からハクの姿へと変化する。 千から千尋に戻る 千とハクが湯婆婆が待つ太鼓橋に降り立つと、湯婆婆とハクが交わした約束である千を帰すという約束を果たすため、契約上、一群のブタから千の両親を当てるという問題を出すのである。 千がこの中に両親のブタはいないというと契約書が消え、千はめでたく解放されるのであった。 途中までハクが送ると、ここからは振り向いちゃ駄目だよ、とハクが言い、そこからは千尋一人で戻らなければならないのだ。 すると、千尋の両親が待っていて、親子共々再びトンネルを抜けるのである。 トンネルを抜けると、草は伸びていて、車も誇りだらけなのであった。 そして、千尋親子は、トンネルから遠ざかっていく。 「千と千尋の神隠し」の感想とまとめ 「千と千尋の神隠し」は宮崎駿監督の真髄がたっぷりと盛り込まれた極上のアニメ映画です。 ありとあらゆる場面で多分、あふれんばかりの宮崎駿監督の想像力が花開いた目を見張る場面の連続で、時に現代社会の皮肉たっぷりに宮崎駿監督がたどり着いた一境地と言える作品なのです。 最初の自動車の中で退屈極まりない千尋の様子など、微笑ましくあり、出だしのシーンは考えに考え抜かれたに違いないと思います。 まだまだ、甘ったれで幼さの残る千尋を印象づけるのに、最初のシーンはかなり重要内見を持っているように思います。 「千と千尋の神隠し」は怪異譚なのですが、千尋の成長物語でもあります。 最初の自動車の中での悪態をついたりする千尋は、いわゆる内弁慶で、一人では何にもできない少女として登場します。 トンネルを抜けての爽快な草原の様子など、これから始まる物語の不気味な内容とは裏腹にそのコントラストの比は、その後に千尋達が立ち入る無人の街の不気味な様を特に際立たせることに成功していると思います。 千尋の父親と母親がものを食べるシーンは宮崎駿監督の真骨頂と言え、なんとも美味そうに食べるその食べっぷりは、やはり、とても印象に残ります。 順序が相前後しますが、最初の父親が運転する自動車のシーンも宮崎駿監督作品ではおなじみです。 また、釜爺がいい味を出しています。 6本の手足を持つ釜爺は、義理人情に厚く、きっちりとした存在が大好きで、日本で一昔前の人間によく見られた性格をしています。 これがまた、非常によく、菅原文太さんの声がぴったりで、古くさいけどどうしても憎めない懐かしい親爺を体現しています。 「千と千尋の神隠し」の中でも傑出した存在感を放っているのです。 そして、「千と千尋の神隠し」ではそれぞれのキャラクターが非常に立っていて、特にカオナシは現代人の薄気味悪さを体現しているようで、カオナシという名が全てを表しています。 湯婆婆も坊もハクもリンもカエルの化身たちも全てが宮崎駿監督ならではの皮肉が効いた妙味が素晴らしく、オクサレ様の描写など、秀逸です。 初めはドジで何をやらしても駄目な千が次第にしっかりした少女へと成長して行く様は清々しくもあり、その純真な心は金の山を目の前にしても全くぶれることはないのです。 襲われたカオナシに対しても臆することない千は、凜とした少女に見事に変身を遂げ、他者を思いやる心優しい心遣いを見せるなど、その変わり様は目を見張るものがあります。 全てにおいて宮崎駿監督の魅力が凝縮した絢爛豪華な作品が「千と千尋の神隠し」なのです。 千と千尋の神隠しに関する感想の別のサイトも参考に! 関連記事.

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『千と千尋の神隠し』はなぜ赤い?ジブリの制作舞台裏に迫る!

千と千尋の神隠し 裏話 公式

この記事で分かること• 湯女の都市伝説!千と千尋の神隠しのテーマは「夜の店」… 人気映画だけに、色々と憶測や都市伝説が多い「 千と千尋の神隠し」。 数々の都市伝説の中に、人間界から別の世界に紛れ込んだ千尋が働く世界は「夜の店」であったというものがあります。 表面上では、千尋が働く「油屋」はその世界の魔女である湯婆婆が作った神々のための温泉施設という設定。 千尋は「 湯女(ゆな)」という立場で働くことになりますが、この湯女とは江戸時代にも存在した 夜のお店の女性を指すのです。 また千尋は、湯婆婆に名前を取られて「千」という名前になりますが、それは夜の店で言う「 源氏名」のようなものと考える人も少なくありません。 湯婆婆、銭婆は「悪役」の設定だったという都市伝説 口が悪く横暴な性格ながらも、スタッフ想いの 湯婆婆。 その姉で湯婆婆よりは聞き分けがよく、フランクな性格の 銭婆。 彼女たちも千と千尋の神隠しにおいて重要な役割を担っているのは言うまでもないことでしょう。 そんな2人ですが、なんと初期構想では「完全な悪役」として登場する予定だったのです。 そして 千尋によって倒される設定だったとの都市伝説があります。 まず湯婆婆を倒し、物語の黒幕的存在だった銭婆も倒すというストーリー展開。 当初はこのまま映画製作を進める流れだったのですが、これでは感動的なストーリーと言うよりもむしろアクション映画になってしまう… そんな懸念に加えて、このプロセスを採用すると 上映時間が3時間を超えてしまうということで、泣く泣く現在の形に落ち着いたとのこと。 また、ここでカオナシを登場させたことにより物語の変更が容易になったとも言われています。 結局は幻となった、初期構想での「 アクション版」。 とは言え、現在のストーリーでなければあれほどの感動作にはならなかったのかもしれません。 Sponsored Link 最初は「千と千尋の神隠し」ではなく「千とちさとの神隠し」だった? 今でこそ「千と千尋の神隠し」という名前で定着しているものの、実はこの映画。 当初のタイトルは「 千とちさとの神隠し」になる予定だったとされています。 その「 ちさと」ちゃんとは宮崎駿の知人の娘さんのことで、家族ぐるみで親交が深かったようです。 そんな流れから映画名は「千とちさとの神隠し」にしようという流れになりました。 が、作品のモチーフ的に問題アリということで、あえなく「千尋」に変更されたという話。 こんな経緯からも「夜のお店」が描かれていたという信憑性は高そうですね。 千と千尋の神隠しに登場する「2人の母親」 実は「無気力な少女」の成長物語という側面を持った、千と千尋の神隠し。 周りへの関心が薄く消極的な千尋を観察すると、確かに 現代の子供に通じるものがあります。 「 このままでは未来に期待できない」といったジブリ側からの暗黙のメッセージが聞こえてきそうです。 しかしこの状況を作った原因は子供だけでなく、保護者である両親にもあるのではといった示唆も含まれている様子。 都市伝説によると、千と千尋の神隠しは「 2タイプの母親」を登場させて現代社会に警鐘を鳴らしていると言います。 まず1つは、 千尋の母。 夫とはしっかりコミュニケーションを取ってはいるものの、娘の千尋には極めて冷淡な態度で接することから「一種のネグレクト 無視 ではないか」と揶揄されています。 それとは対照的に、 坊の母親である湯婆婆。 彼女はこれでもかと言うくらい息子の坊を甘やかしています。 映画の終盤で坊は親離れを果たしますが、それ以前の性格はまるで正反対でしたよね。 子供の発育や自我の発達にそれぞれ影響を与えた、2人の母親。 彼らを登場させることで「 これでは将来、子供が大変なことになってしまう」と、スタジオジブリは「千と千尋の神隠し」を通じて伝えたかったのではないでしょうか。 Sponsored Link 「電車の乗客」はなぜ黒い?リアルすぎる都市伝説 ハクが盗んだ契約印を返し、彼を許してもらうために千尋はカオナシや坊たちを連れて銭婆のもとへ向かいます。 そこに行くまでは 電車を使うのですが、その電車や乗客は少し異様でしたよね… 鉄道自体に行きはあっても帰りのルートはなく、乗客の体は真っ黒で顔が分かりません。 都市伝説によると、この電車を利用する乗客は「 人間界で自殺を考えている人間たち」だと言われています。 途中に駅があって乗客が降りるのは「 自殺を思いとどまって再び生きることを決意した」という意味に取れるようです。 あくまでも都市伝説ですが、使命感を心に持ちながら電車に乗る千尋の周りでそんなことが起きていたとは…何だか驚いてしまいます。 千と千尋の神隠しには「幻のラストシーン」が存在する? さて、千と千尋の神隠しの「 ラストシーン」と言えば何を思い出しますか? 家族揃って人間界に戻り、葉っぱで荒らされた車を片付けて引越し先の新居に向かうというシーンはおなじみですよね。 ところが、映画公開の直後。 千と千尋の神隠しを観たジブリファンたちは「 別のシーンがあった」と主張しているのです。 彼らに言わせると、千尋の母が父に「もう引越し業者さん来てるわよ」と文句を言い、引越し業者からも「時間に遅れると後で困る」と叱られていたとのこと。 そして千尋は近所を一人さまよい、ハクが神様となっている川をぼんやりと見つめていた…そんなラストがあったと言うのです。 さらには「千尋が転校した学校に ハクらしき少年がいた」「確かにこの目で見た」といった視聴談が相次ぎ、都市伝説になっているほど… そんな「幻のラストシーン」ですが、残念ながらDVDやロードショーでは観られないため裏話として尾ひれが付いていったのです。 以上、千と千尋の神隠しの都市伝説をお届けしました。 これだけの都市伝説や憶測が寄せられるとはさすが話題作。 今度は都市伝説を楽しみながら映画を観たいものです。

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