崖 の 上 の ポニョ 考察。 死後の世界を描いた『崖の上のポニョ』にまつわる都市伝説考察

『崖の上のポニョ』の全て。ポニョにまつわる都市伝説、トリビアを徹底解説

崖 の 上 の ポニョ 考察

JUGEMテーマ: この日記は感想ではなく、個人的な考察です。 製本された文献に当たっていないので、学術的なものではありませんので、ご了承下さい。 先日放映された『崖の上のポニョ』を見て、私は今までの宮崎映画と真逆の印象 を受けた。 『となりのトトロ』『千と千尋の神隠し』は子供がふいに異界へと引き込まれ、大冒険をしてから現実に戻る。 しかし『ポニョ』においては異界の住人が現世にやって来る。 参考:『八百比丘尼』 他にもポニョの手を引いてトンネルを通るシーンは黄泉比良坂を思い出させるが、次第に形が変わるポニョを、宗介はイザナギのように驚いて手を離すことはかった。 随所に垣間見る逆転、反転。 私はこれに意味を感じた。 状況を客観的に考えると「こわい」状態にあるにも関わらず、子供は怖れない。 寧ろ状況を楽しむ。 津波が来て街が水没しても臆せずに母・リサを探しに行く宗介の姿や、世界に歪みをもたらしかねない禁術に身を呈するポニョの行動さえも。 七五三を覚えているだろうか。 七五三の由来は諸説あるが、神隠しに会わず成長し人間の子となった事を祝う儀式とする説がある。 参考:『七五三と神隠し』 半魚人であったポニョが人間になった年齢もまた五歳だった。 それらを踏まえると、宗介もポニョもこの時人間となったのではないだろうか。 『ポニョ』からはそんなご都合主義な愛の成就と大団円な印象は受けない。 ポニョは魔法が使えない人の子になった。 それは現実を生きる人の姿である。 反転する神話・伝承。 神話・伝承を踏まえた上でこれを覆し、超越を無に帰す。 こうした観点から見ていると、前述した今までの宮崎映画と真逆の印象を受けたと書きつつも、これまでの延長であるようだ。 強引に言ってしまえばそれを観る人を現実世界に引き戻す物語ではなかろうか。 以上を踏まえ、私には ご都合主義な愛の成就、幼い子供の純粋な恋愛というより人間として活きる原点を描写しているように思われる。 何故、それを必要とするの、私にはまだ結論が出ていない。 今を生きる人間は、異界 あるいは空想 に引きずり込まれたままなのだろうか? 以下、Web拍手レス• 1 recent comment.

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崖の上のポニョ・結末の意味は?最後のリサのセリフについて考察

崖 の 上 の ポニョ 考察

それでも悲劇と言えないのは、さっきも書いたけども、ポニョ自身にとっては地上のほうが「生の国」だからで、やはりキャラクターの価値観ごとに結末の意味が大きく変わるおはなしだなあと思いました。 個々の立場を想像して何度でも楽しめるのが凄いよね — 串間あずき azuki0912 映画の話して私ぽにょ見たことないからわかんないんだけど、「何を伝えたいかわかんなかったからポニョ面白くない!」って皆言ってて皆この映画で何を伝えたいのかって思って映画見てるんだ…って思った 結末の意味くらいは考えるけど監督の思考をそこから想像したことはなかったな~ — こうのぼり gykwsy 「独律説」からみてもけいおんは「夢の中」から出てこない事(ハムスターは檻から出たが、家からは出ない)を選択した。 この結末は「ポニョ」(海の世界を肯定する)「 W」(フィリップのいる風都に居続ける)と同じ意味を持つ終わりに見える。 虚構が現実を侵食した時代から、切断の時代になったのか — すぱんくtheはにー SpANK888 崖の上のポニョでは、公開当時や地上波放送時、意味不明・理解不能という人が多数しました。 過去の宮崎駿監督の過去の作品であれば、大まかな筋の上疑問点などありましたが、基本的にはストーリを楽しむことができました。 しかし、今作「崖の上のポニョ」においては子供向けな一面が表のストーリーになります。 その裏には、メッセージ性や深い意味が込められた作品となっています。 実は大人でも深く楽しめる作品となっています。 結論から崖の上のポニョの結末の意味についてですが、 人類も世界(海)も、現世でもあの世でも「愛」を大事は共通している事を伝えたいのではと考察します。 子供たちに向ける愛の物語 まずは、結末までのストーリーを大まかに説明していきます。 ポニョの父フジモトは娘が世界に大穴を開けたといい、世界が破滅すると慌て出します。 しかし、ポニョの母グランマーレは、ポニョをそのまま人間にしてしまえば、ポニョの魔法がなくなり、防ぐ事ができると夫フジモトに言います。 ただし、それを可能とする古い魔法を使うことには条件がありました。 それは 「宗介のポニョへの愛が続くこと」でした。 宗介のポニョへの気持ちに変化が起きたら、ポニョは泡となって消えてしまうと言います。 その頃、あの嵐や津波も地上ではおさまり、宗介の母リサは宗介とポニョを家に残して、彼女が働いている老人ホームの様子を見にいきます。 翌朝、宗介とポニョが母リサを追っていくと、その途中で魔法の力を使い果たし、ポニョは眠り出して魚の姿に戻ってしまいます。 そこにやって来たポニョの父フジモトは、2人を海底へ連れて行きます。 すると母リサの勤め先である老人ホームは海底にあり、そこでは2人の母親リサとグランマーレが待っていました。 ポニョの母親グランマーレは宗介の気持ちを確かめようと問いかけます、宗介が「心からポニョを好きになる」ことをです。 そしてポニョにも魔法を捨てて人間になっても本当に良いか尋ねます。 そして、2人が頷くとグランマーレはポニョを人間にする古い魔法をかけました。 その後、宗介とポニョは陸へと戻りキス、彼女の姿は5歳の少女に生まれ変わります。 そして、崖の上のポニョは終焉を迎えます。 表のストーリーを見る限りでは、宗介とポニョの2人の愛が世界を救った事になります。 まず、この1点が子供たちへ伝える愛の形ということになります。 この点だけみると、単純明快なストーリーでジブリ作品を期待している人からすると、拍子抜けします。 しかし、「崖の上のポニョ」の裏設定は大人向けの設定となっています。 大人たちに向けた愛の物語(ポニョの本質) よく都市伝説の話で、「ポニョは後半から死後の世界である」とされています。 この内容については、裏付けが取れている事がわかっています。 ジブリの音楽を担当している久石譲さんが重大なコメントを残していました。 崖の上のポニョに関するインタビューの中で、 「死後の世界や輪廻転生などの難しいテーマを投げかけながらも、子供からは少年の冒険の物語に見える、という二重の構造を表現するのが難しかった」 と意味深なコメントを残しています。 完全に「死後の世界」をイメージしている事から、確実にこの設定はあったことがわかっています。 そして、「崖の上のポニョ」のキャッチコピーは「生まれてきてよかった」。 子どもたちが不安を抱いて生きるのではなく、「生まれてきてよかった」と思える世界観を表現しています。 それに加え、大人たちに向けても、決して死後の世界・何があっても愛のちからだけは忘れないで欲しいというメッセージ性も含まれています。 天変地異が起きても、何もかもなくなってしまっても、愛の力でハップーエンドを迎えるストーリー。 輪廻転成=生まれ変わっても、海底でみんな過ごしているように幸せな未来が待っていることを表しています。 そのために、崖の上のポニョでは、毎日を死の時まで全ての人たちが幸せになって欲しいという願いが込められていると考察します。 この2点の視点を視聴者側に直接的ではなく考えさせる意図があったのだと思います。 もしバッドエンドでは、悲しみしか産みません。 あえてハッピーエンドにすることで、様々な憶測を産むことや子供向けに見せかけ、深い意味を持たせると考察しました。 諸説ありますが、それぞれの考え方があることも、宮崎駿監督の策略なのかもしれませんね。 ぐぐったら同じことを思ってる人がいた。 グランマンマーレっていう名前は紹介されてたっけ?。 噂のトンネルも出てきたが、正直深読みじゃないかな。 普通に人魚姫と考えた方が楽しめる気がする。 ただ何で母親名前で呼ぶのかは最後までわからんwリサ良いお母さんだけどな — ダース・彌亮 yaryoh もう一点、結末として話題を読んでいるのは、宗介の母親であるリサのセリフです。 リサがポニョの母親(グランマンマーレ)に向かって、「あなた!・・・」と喋ります。 ここで「・・・」の部分で何を言っているのかわからない人が多いとなりました。 ここは、「あなた!グランマンマーレ!」と言っています。 聞き取りにくかった部分に何か隠されているのではないかと言われていましたが、ここではただ名前を呼んだだけになります。 同じ母親同士、がんばりましょうね!という意味になります。 宮崎駿監督の作品で暗号のようなものは基本的に存在せず、物語主体で意味深な内容を考察させるストーリが大半です。 ポニョも前述したように、それぞれで全体を俯瞰して考えてみると作品をより一層楽しむことができます。 まとめ 今回は崖の上のポニョ・結末の意味や、最後のリサのセリフについて考察していきました。 個人的に宮崎駿監督の作品の中でも、度肝を抜かれた作品でした。 どう考えても、ただの子供向け作品として作られる作品ではないと踏んでいたので、公開当時劇場で様々な考察をしたのを覚えています。 素晴らしい作品だと思います。 視聴者自身が作品の幅を広げる事ができる名作だと思います。 是非、今まで嫌っていた人も、見た方を変えて挑戦してみましょう! 「崖の上のポニョ」関連記事.

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「崖の上のポニョ」見たら言いしれぬざわ・・ざわ・・感がぬぐえない

崖 の 上 の ポニョ 考察

金魚だったはずのポニョは徐々に人間となっていく。 動物と人間の境界を曖昧にする。 「」が伝えたかったのは、家族としてのペットのあり方だ。 いらなくなったペットを捨てたり、殺したりする人がいる。 だけど、本来ペットは家族の一員であり、人間の都合で好きにしていいはずがない。 児童向けの印象も強い「」だが、本当は大人へのメッセージなかもしれない。 作品テーマ:人間と動物の関係 ポニョとは? 5歳の男の子の宗介はある日、海辺で金魚と出会う。 この時点では名前がなく、ポニョは金魚として認識されている。 金魚の姿をしたポニョ はじめは金魚だった 宗介は金魚にポニョと名前を付けることで、特別な存在として、ポニョを認識するようになる。 名前を付けた時、彼にとってポニョは単なる金魚ではなくなったのだ。 また、保育園の同級生の女子に「金魚」と指摘された際に「金魚じゃないよ、ポニョだよ」というセリフは、名前を付けることにより、対象へ愛情が湧いていることを印象づけるシーンとなっている。 名前を付けることから、宗介とポニョの関係が始まるのだ。 徐々に人間になる そんな宗介とポニョだが、ポニョのであるフジモトは、ポニョを海に引き戻してしまう。 半魚人姿のポニョ フジモトの元に戻ったポニョは、宗介の元に戻ることを決意。 徐々に半魚人や人間の姿に変わっていくようになる。 さらに、宗介とポニョが単なる「人間と動物」の関係ではなく、「生き物と生き物」という対等な関係となっているのだ。 は生命の原点を表す その後、母親のリサを探すため、で沈没した街へと旅立つポニョと宗介。 母親のリサを探しに行くポニョと宗介 この時、海の下には、がたくさん生息しているが、これは、今回のテーマである(人間と)生き物の本来のあり方を見直すために、生命の原点を印象付けている。 願いが叶ったおばあちゃんたち やがて、宗介とポニョは海底にある老人ホームにたどり着く。 そこには、元気に走り回るおばあさんが登場するが、これは作品の冒頭での「宗ちゃんみたいにかけっこ出来たら」という彼女たちの願いが叶ったのだ。 元気に走り回るおばあさんたち グランマンマーレに対する宗介の答え その後、「(ポニョが)人間になるには、本当の姿を知りながら、それでもいい男の子が要る」というグランマンマーレ(ポニョの母親)に対して、 「僕、お魚のポニョも、半漁人のポニョも、人間のポニョもみんな好きだよ」と、ありのままのポニョを受け入れる宗介。 そこには、人間と生き物の差別は存在しない。 ポニョと宗介はキスをして、無事に人間となり物語は終わる。 が伝えたかったのは、家族としてのペットのあり方 物語の背景には、ペットの放棄、ペットの殺処分問題などがあるのではないだろうか。 現代人は、生き物をモノのように扱う。 モノの使い捨てが進む世の中で、生き物であるペットまでもが、都合のいいように扱われている。 しかし、 ペットとは家族だ。 生き物も人間と変わらない。 それはポニョも同じ。 ポニョは(たかだか)金魚。 それでも宗介にとってポニョは大切な家族なのだ。 だから、同じ生き物として宗介はポニョと向き合う。 そこには、人間とペットの本来あるべき姿が照らし出されている。 ペットショップにいる可愛らしい動物たちは、時に人間の都合で買われて、捨てられ、殺されてしまう。 だから、もっと、ペットを大切にしよう。 ペットだって、人間と同じ生き物なんだ。 そんなメッセージが聞こえる作品だ。 manganogakumon.

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