大河 の 一滴 あらすじ。 五木寛之はコロナ騒動を予言していた!?「大河の一滴」の内容を紹介!【世界一受けたい授業】

大河の一滴

大河 の 一滴 あらすじ

の『』を読んだ。 何年前だろう、かなり話題になっていたので読んでみようかと思っていた一冊だ。 裏表紙の説明も今の自分に何となく合いそうな気がする。 いきなり「自殺」の話から始まる不思議な出だしだが、それは「生きている」「生きていく」を宣言するものだった。 90年代中ごろにいくつかの雑誌に記載されたり、ラジオで発表されたりした内容がエッセイとして一冊の本になり刊行された。 五木さん独特の考えが織り込まれている。 〈人はみなである。 その流れに身をあずけて海へと注ぐ大河の水の一滴が私たちの命だ。 私たちの生は、大河の流れの一滴にしか過ぎない。 しかし無数の一滴たちとともに大きな流れをなして、確実に海へとくだっていく〉と。 仏教的な観もあるが、決してマイナス思考でもないところがいい。 また、中国の故事〈滄浪の水が清らかに澄んだときは 自分の冠のひもを洗えばよい もし滄浪の水が濁ったときは 自分の足を洗えばよい〉が引用され語りが続く。 そうだよな、水が濁ったからといってあきらめることもないのだと思った。 この「」は安田成美やが出演し映画化がされている。 なので、最初小説だと思っていた。 このエッセイが原案となってストーリ化されたらしいが、どんな内容になっているのだろうか。 一度観てみたいものだ。 今私は、その大河のどこを流れているのだろうか…….

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大河の一滴 (2001)

大河 の 一滴 あらすじ

これまでに約300タイトルの本を執筆して売り上げが100万部以上のミリオンセラーが9冊もあります。 22年前に書かれた代表作『』の中に予言ともいえる一節があります。 新種のわれわれの目に見えないウイルスやあるいはこれまでになかった病原体というものが出現 『大河の一滴』 さらに2年前には『』でこんなことも… 東京オリンピックにしてもはたして無事に開会にこぎ着けられるのだろうか マサカの展開はすべての予測や期待を裏切って発生する 『マサカの時代』 多くの人が未来への不安も抱える今、22年前に書かれた『』が我々の心に突き刺さります。 22年前に書かれた本がなぜ今読まれているのか? 作家・五木寛之さん(87歳)が今どうしても伝えたいこととは? 現状に嘆くばかりでなく何ができるか考えて行動する 『』にこんなエピソードがあります。 昔、中国に屈原という役人がいました。 「世の中で1番大事なのは正義だ」と正義感が強く清廉潔白すぎる彼は、性格が災いして反発を買って国を追放されてしまいました。 「世の中はなんて汚れ技っているんだ」と絶望してよろめきながら大きな川のほとりに辿り着きました。 そこへ船に乗った漁師が現れました。 漁師「どうされました?」 屈原「今の世の中は汚れきっている。 なぜ私が国から追い出されるんだ。 」 漁師「何かできることはなかったんですか?」 屈原「私の行いは正しい。 世の中の汚れにまみれるくらいならこの川に身を投げて魚の餌になった方がマシだ。 」 すると漁師は「川の水が清らかに澄んだときは自分の冠の紐を洗えば良い。 川の水が濁ったときは自分の足でも洗えば良い」と言って去っていきました。 『大河の一滴』 『』の中で五木さんは 世の中はときに澄みときに濁る。 いわば川の流れと同じようなものだ。 幸いにも水が澄んだら自分の大切なものを洗えばよい。 魂を洗うこともよし。 また己の顔を洗うもよし。 そして水が黄色く濁ったとしても、なにも呆然と立ちすくんで怒りや悲しむ必要もないではないか。 足元を見るがよい。 お前さんのその足は泥の上を歩いていつの間にか汚れて泥もこびりついる。 『大河の一滴』 と書いています。 先ほどの漁師は「例え濁った水でも自分の汚れた足を洗うには十分だ」と言いたかったのです。 大河の水はときに濁り、いや濁っている方が多いかもしれない。 濁水をただ嘆くなとこの物語は教えているのです。 五木さんはこの物語を聞いて『』を描こうと決めました。 「どうにもならないときに泣くのは良いですが、泣き言を言うな。 どんな時にも何かできることはある。 そのできることからやっていくことが今 大事なことだと思います。 八方塞がりでどうにもならないと思っていても活路はどこかにあります。 「八方塞がり」という言葉は天地左右のことで八方塞がっていてもまだ二方があいたところがあるじゃないか。 」 目の前の現状を嘆くばかりでなくその環境の中で自分が何ができるかを 考えて行動することが大事です。 スポンサーリンク 本当に辛い時こそユーモアを持つ 五木寛之さんが今伝えたいと。 2つ目は、辛い時こそユーモアを持つ。 極限状態の中で生きていく上では人は 笑いが必要です。 笑うような状況じゃないところでもハハハと笑う、そういう人の方が厳しい条件の中で生き抜いたというエピソードがいろいろあります。 『』の中にはこんなエピソードがあります。 第2次世界大戦後 アウシュビッツ強制収容所から奇跡の生還を遂げたユダヤ人医師 ヴィクトール・フランクルの話です。 精神科医だったフランクルは人間がこの極限状態を耐えて最後まで生き抜くには 感動することが大事だ、 喜怒哀楽人間的な感情が大切だと考えました。 そのため 彼がしたことは毎日何か1つずつ面白い話をすることでした。 笑いや感動がなくなったらその後くるのは死のみです。 明日の命さえも知れない強制収容所の生活の中でユーモアのあるジョークを一生懸命に考えてお互いに披露し合って栄養失調の体でフフフと力なく笑う。 こういうことをノルマのように決めて毎日実行したというのです。 『大河の一滴』 ユーモアというのは単に暇潰しのことでなく、本当に人間が人間性を失いかけるような局面の中では人間の魂を支えていく大事なものです。 生きていく上では人は笑いが必要なのです。 アメリカの有名な作家が「ユーモアの源泉は哀愁である」と言っているそうです。 笑いを大切にしている人の背景にはヒューマンな心の悩みや人に言えない苦しみや愛情がたくさんあると思います。 極限状態を乗り切れる人は「おはよう」「いただきます」をいうことができる人 五木寛之さんが今伝えたいこと3つ目。 『』にこんなエピソードがあります。 環境保護活動家として知られる作家のC・Wニコルさんは北極や南極などへの調査体験に参加していました。 南極でにテント生活をしていると、どうしても人間は無精になるしそういうところで体裁を構う必要がないので身だしなみ などということはほとんど考えなくていいわけです。 にもかかわらず、中にはきちんと朝起きると顔を洗って一応服装を整えて顔を合わせると「おはよう」と挨拶し、物を食べるときには「いただきます」という人がいる。 こういう社会的なマナーを身に着けた人が意外にしぶとく強く、厳しい生活環境の中で最後まで弱音を吐かなかった。 『大河の一滴』 ちゃんと挨拶ができたりマナーやチケットを忘れないということは、極限状態の中で生きていく上では大事なことかもしれません。 今の世の中、ルールを無視して自分のことだけを考える人もいると思います。 しかし本当に最後に生き残るのは 社会的ルールを守りきった人かもしれないと22年前の本に記されています。 自分はもうダメだと覚悟を決めた人間に「がんばれ」と言わない 五木寛之さんが今伝えたいこと4つ目。 「さあ頑張ってそこまで歩こう」という励ましが通らない世界はあります。 そういうときには激励・前向き・励まし・希望の言葉が非常に空々しく無力に感じられるものです。 苦しんでいる人がいるとき「頑張れ」と激励することは逆に相手を追い詰めてしまいます。 そういうときは相手に寄り添い苦しみをわかってあげることが大切です。 五木さんのこれまでの著書を全てを足すと1億冊もの本が読まれています。 誰もがうらやむ大作家ですが、『』で衝撃の過去を告白しています。 私はこれまでに2度自殺を考えた。 最初は中学2年生のときで2度目は作家として働き始めた後のことだった。 人間は誰でも本当は死と隣り合わせで生きている。 私たちはいつもすれすれのところできわどく生きているのだ。 人が生きるということは苦しみの連続なのだ 私を自殺から救ってくれたのは そのような悲惨な極限状態の中でさえも人の善意というものがあり、正直さも親切さも助け合いも、時には笑いも感動もあったという確かな記憶である。 極楽は地獄の中に確かにあった。 『大河の一滴』 自分が生きることさえ精一杯の今の世の中でも、困っている人に手を差し伸べてくれる人はたくさんいます。 『』が世に出たのは1998年、バブル崩壊後の景気回復の兆しがなく、銀行が経営破綻するという戦後最悪の不況が続いた時代でした。 そんな時代に勇気と希望を与え、多くの人に読まれてました。 五木さんはつらく悲しいときいつも悲しい歌を歌っていたといいます。 「悲しいときには悲しい歌を」五木さんがよく口にする言葉です。 五木さんは多くの日本人が前向きな歌として捉えているある有名な歌を実は悲しい歌であるといいました。 日本人なら誰でも知る、そして全米でも大ヒットした『上を向いて歩こう』です。 メロディーは明るいが、歌詞は悲しい歌だと五木さんはいいます。 「上を向いて涙がこぼれないように歩いていこう」というそういう状況ですから歌う本人は泣いています。 つまり、涙をこらえつつも歩いていこうという悲しみに共感する歌です。 『』にはこんな話があります。 直木賞を受賞したこともある有名な作家さんのエピソードです。 「先生がいると場の景気が一気に明るくなる」 「先生がいるところだけ、まるでスポットライトが当たってるみたいな」 といつも明るくて周りの人に愛される作家さん。 若き日の五木さん自身も「僕みたいな駆け出しの作家にも気さくに声をかけてくれる。 あんな人になれたらいいな」と思っていました。 しかし、その作家さんが亡くなった後、生前「もし生まれ変わるようなことがあっても金輪際 人間に何か生まれ変わりたくない。 」と言っていたと知ります。 みんな驚いて何も言えなかったそうです。 『大河の一滴』 明るく屈託のない人に見えても2度と人間に生まれ変わりたくないと思わせるような深刻な内面の葛藤や悩みがあったのです。 悲しみを胸に秘めつつ それでも人は生きているのです。 人はみな大河の一滴である 五木寛之さんが今伝えたいこと5つ目。 人はみな大河の一滴である。 「人は大河の一滴」 それは小さな一滴の水の粒に過ぎないが、大きな水の流れをかたちづくる一滴であり、永遠の時間に向かって動いていくリズムの一部なのだ。 『大河の一滴』 世の中を嘆いた屈原 過酷な状況に立ったフランクル 内面に悩みを抱えていた作家 皆、大河の一滴として生き抜いたのです。 『』の最終章に今の苦しい時代を暗示するようにこんなことを書いています。 「冷たい夜と闇の濃さの中にこそ朝顔は咲くのだ」というエピソードは月並みですが、確かな真実もあります。 暗黒の中で光を探し求めている人間こそが一筋の光を見て心が震えるほどの感動を覚えることができるのですから。 『大河の一滴』 老子は弟子に何を伝えたかった? 最後に『』で紹介されているエピソードから皆さんに宿題です。 中国の有名な哲学者 老子に弟子が質問しました。 弟子「先生、人生の本質、真実とは何でしょうか?」 老子「教えて欲しいかね」 弟子「はい。 私は長い間先生のもとで学んできましたが、人生の真実とは何かを教えてもらったことがありません。 」 すると老子は口をパカッと大きく開け、口の中を指差しました。 老子「どうだ、わかったか?」 弟子「いえ、何もわかりません。 」 老子「歯はあるか?」 弟子「いえ、先生はご老人なので歯は1本も残っておりません。 」 老子「では舌はあるか?」 弟子「はい、もちろん舌はございます。 」 すると老子は「よし」と言って去っていきました。 弟子「一体どういう意味なんだろう?」 『大河の一滴』 ここで問題です。 老子が弟子に伝えたかった人生の真実とは一体何だったのでしょうか? 上田の回答「なくしたものを数えるなっていうことですよね。 そのあるものに感謝しなさいと。 」 有田の回答「舌があるってことは喋られるってことだよね。 喋ると。 わかったな。 皆さん この意味をよく考えてみてください。 答えを言わないのが大きな理由です。 今再び注目されている『』 いつの時代も「人が生きるとは苦しみの連続なのだ」という言葉が胸に刺さります。 あとがき 今回はとても難しいテーマでした。 『大河の一滴』を読んだことはありませんでしたが、胸に深く刺さる言葉がたくさん出てきました。 仏教だったと思いますが、「生きることは苦行である」と説いているところもあるそうです。 わたし達は生きているだけで凄いし偉いのです。 新型コロナウイルスの猛威に脅かされて極限状態の今、『大河の一滴』は内面的に訴えてくるものがあります。 社会的なマナー、他人を尊重する配慮をいつまでも忘れずに生きていきたいと思いました。 最後に番組から宿題がありましたね。 わたしなりに答えを考えてみました。 「世の中は有形無形があり、人生の本質はその人自身しかわかり得ないものである」 きっと本の中に答えが書いてあるでしょうね。 『大河の一滴』を読んでみたくなりました。

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『大河の一滴』作家・五木寛之さんが今伝えたいこと『世界一受けたい授業』

大河 の 一滴 あらすじ

の『』を読んだ。 何年前だろう、かなり話題になっていたので読んでみようかと思っていた一冊だ。 裏表紙の説明も今の自分に何となく合いそうな気がする。 いきなり「自殺」の話から始まる不思議な出だしだが、それは「生きている」「生きていく」を宣言するものだった。 90年代中ごろにいくつかの雑誌に記載されたり、ラジオで発表されたりした内容がエッセイとして一冊の本になり刊行された。 五木さん独特の考えが織り込まれている。 〈人はみなである。 その流れに身をあずけて海へと注ぐ大河の水の一滴が私たちの命だ。 私たちの生は、大河の流れの一滴にしか過ぎない。 しかし無数の一滴たちとともに大きな流れをなして、確実に海へとくだっていく〉と。 仏教的な観もあるが、決してマイナス思考でもないところがいい。 また、中国の故事〈滄浪の水が清らかに澄んだときは 自分の冠のひもを洗えばよい もし滄浪の水が濁ったときは 自分の足を洗えばよい〉が引用され語りが続く。 そうだよな、水が濁ったからといってあきらめることもないのだと思った。 この「」は安田成美やが出演し映画化がされている。 なので、最初小説だと思っていた。 このエッセイが原案となってストーリ化されたらしいが、どんな内容になっているのだろうか。 一度観てみたいものだ。 今私は、その大河のどこを流れているのだろうか…….

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