トポス 意味。 トポスとは

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トポス 意味

人間は、これまでなんとさまざまな仕方と方法で人間の生活と生存がそこで可能となるような居場所、身心のくつろぎと安らぎが得られるところ、よりどころと支えとなるような舞台、まさにトポスを築きつづけてきたことだろう。 住居としての家や庭は、人びとの日々の暮らしにおいて、まことに大切なトポスだったのであり、家や庭に情熱を傾注した人びとは、決して少なくなかったのである。 洋の東西にわたってさまざまな庭や庭園が見られるが、庭とは、本来、パラダイス、楽園だったのだ。 家族生活は、家庭生活と結ばれているといえるだろう。 グループやグループ・ライフは、トポスや風景に根をおろしているといっても過言ではないだろう。 人びとが、私たちの誰もが、そこで生きている世界は、社会的文化的世界、人間的世界、日常的世界だが、きわめて人間的な表情と姿を見せながら、このような世界においてクローズ・アップされてくる人間の風景こそ庭なのである。 庭は、自然と文化の微妙な融合、自然に根ざした人間のモニュメンタルなトポス、まさに記念碑、モニュメントそのものなのである。 庭は、目の楽しみと慰めにすぎない光景ではない。 視野ばかりか、聴覚の野、嗅覚の野、手で触れることができる野など、さまざまな野があるのである。 庭と呼ばれる造形や形象、風景には、音が漂い流れており、トポスとしての、道としての庭においては、水の音や風の音が、また、香りや匂いが、体験されるのである。 サウンドスケープ、音の風景は、さまざまな庭、ほとんど人間の眺めともいえる庭においても体験されるのである。 人間は、なんとさまざまな仕方で、時間、空間、それぞれを意味づけるために心をくだいてきたことだろう。 どのような生活においてであろうと、人間は、庭や庭に相当するものを求めつづけてきたのである。 庭の片隅、片隅には、人びとの思いが、にじみ出ているといってもよいだろう。 ジャンケレヴィッチは、郷愁を時の香りと呼んだが、人間の庭には、時の香りが満ち満ちているように思われる。 庭は特別に注目される記憶のトポス、記憶のよりどころなのである。 正岡子規においての庭、柳田國男の庭園芸術と庭へのアプローチ、クローズ・アップされてくるさまざまな庭は、表情、雰囲気、風景は、まことにさまざまだが、いずれも人間にとってまことに興味深い鏡なのである。 文化と自然、人間と自然、人間的なトポス、時間と空間、人びとがそこで生きている日常的世界、人間の生活と生存……このようなモチーフへのアプローチを試みようとするときには、庭は、有力なひとつの糸口になるのである。 庭とは、人間の感性と想像力、イマジネーション、ヴィジョンに磨きがかけられるトポスだが、庭で体験される道は、なかなか魅力的だ。 庭の道は、道の晴れ舞台なのである。 庭が借景を迎え入れる舞台となっていることがある。 枯山水と呼ばれる庭がある。 水の庭がある。 すべての庭は、風の庭といえるだろう。 庭は、アートの衣をまとった自然なのである。 音の庭がある。 庭で体験される音の風景がある。 意味のなかで生きている人間にとって、庭は、奥深い意味のトポスではないかと思う。 庭は、人間に生存のチャンスを与えてくれるトポスなのである。

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トポス (数学)

トポス 意味

メディア考古学とは、エルキ・フータモの主張に即して言えば、メディア文化とその体験の過去と現在を対話させるための研究アプローチである。 フータモのメディア考古学概念にもっとも強く影響を与えたのは、E・R・クルティウスが『ヨーロッパ文学とラテン中世』で展開した「トポス」概念である。 フータモの問題意識は次の三つに大別できるように思われる。 一つ目は、しばしばメディア研究の賭け金となる「新しさ」への批判である。 二つ目は、メディア文化・体験の連続性である。 切断を重視するフーコー的な議論からは距離を置き、フータモは豊富な資料や実例からメディア文化・体験の連続性を強調する。 とはいえ、それは単純な実証主義的態度ではないことには注意すべきである。 三つ目は歴史の複数性である。 例えば、フータモは、映画以前の光学装置を素朴に映画前史として押し込める直(単)線的・目的論的発展史観を拒絶し、それらが映画とは異なるメディア文化・経験を織りなしていると主張する。 以上を背景に、フータモは、トポスを複数の流れが合流・分岐する「場」としても捉え直し、過去を掘り起こして現在との対話を試みるのである。 なお、メディア考古学に関しては、統一的なディシプリンや合意が形成されているわけではない。 その内実や研究対象も研究者によりさまざまであることは指摘しておく必要があるだろう。 著者: 参考文献• Illusions in Motion: Media Archaeology of the Moving Panorama and Related Spectacles, , Erkki Huhtamo, The MIT Press, 2013• What is Media Archaeology? , , Jussi Parikka, Polity, 2012• 『ケータイ研究の最前線』, 「モバイルメディアの考古学」, エルキ・フータモ(吉岡洋訳、日本記号学会編), 慶應義塾大学出版会, 2005• 『絵画と私的世界の表象』, 「家庭こそメディアの場所である」, エルキ・フータモ(太田純貴訳、中村俊春編), 京都大学学術出版会, 2012• 『ヨーロッパ文学とラテン中世』, , E・R・クルツィウス(南大路振一、中村善也、岸本通夫訳), みすず書房, 1971 参考資料• Erkki Huhtamo, , , , ,.

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エポケーとは?死ぬほどわかりやすく解説!

トポス 意味

有難う御座います、ようこそお参り下さいました、当庵(ブログ)住職の真観です。 このお堂(ブログ)では、たびたび「エトス」という言葉を、釈徹宗さんの解釈や意味の解説を拝借して「行為様式」という意味をたびたび用いてお伝えしてきました。 「エトス(エートス)」という言葉と共に知っておきたい言葉と概念に「ロゴス」と「パトス」というのも御座います。 倫理や哲学をよく学んでいる人ならば、アリストテレスの単元や弁証法の単元にて、学んだという記憶があるかもしれません。 最近では、説得するための技術論や要素として、ビジネスの場面でも見聞きしますね。 最も、ビジネスシーンにおいては、相手を自分の都合良く動かそうと言う煩悩による悪用が懸念されるところではありますが。 ロゴスとパトスとエトス(エートス)という言葉と概念について、今回は改めて宗教的な意味や解釈を、仏教を軸にお伝えしていきます。 スポンサーリンク ロゴスの意味と宗教的な解釈 ロゴスとパトスとエトス(エートス)についてですが、まずは 「ロゴス」から観ていくと致しましょう。 ロゴス(logos)とは、ATOKの辞書機能によると :1 哲学用語・宇宙を支配する理法 :2 キリスト教における神の言葉・(三位一体の第二位としての)キリスト です。 宗教的な意味を考える、と言っておきながら、いきなり宗教的な意味が出て来ました。 ATOKの辞書機能、なかなかやってくれます。 弁証法やアリストテレスの項目、また一般論的な意味は 「言語、言葉、論理」です。 言語による説得のことを、ロゴスという人もいらっしゃいます。 ATOKの辞書機能では、ロゴスはキリスト教由来の意味が出て来ましたが、宗派やどの宗教にも限らずに意味を用いるならば 「教義・理論・概念」です。 例えば、浄土宗の教義は何か、と問われたときに、教義を論理的に言語で解説をしたら、それがロゴスです。 例えば「南無阿弥陀仏とは何か?」という問いに「ナマス・アミターバ、ナマス・アミターユスを漢字にした六時名号」と言葉で答えるのが、ロゴスです。 大雑把に言うと、ロゴスは 「教義の言葉」「教義の論理的解説」と言ったところでしょうか。 パトスの意味と宗教的な解釈 次は、「パトス」について観ていくと致しましょう。 パトス(pathos)とは、これまたATOKの辞書機能によると、 :パトス・ペーソス、(人生・文学・芸術の持つ)哀感、哀調 です。 一般的、国語辞典的な意味や解釈では、パトスは 「感情・情念」です。 これは、宗教学における意味においても同じで、理論的に位置づけられない概念です。 パトスはこの他に、 「情緒・精神性」という意味や解釈もなされる言葉です。 例えば、何かモヤモヤした感じがするけれども、なかなかそのモヤモヤを論理的に解説したり、言語化したりする事が難しい事って、あなたにも経験はありませんか? 言葉・ロゴスには変換出来ないけれども、でも実際になんだかモヤモヤするのは事実である、というジレンマは、経験している人も多いかと思います。 宗教というのは、教義を言語では理解出来ても、情緒的な理解というのも御座います。 言語化出来ないけれども、何かの宗教的教義や言葉、禅語を見聞きした瞬間に、パッと開けた感じがしたり、何か情緒的な事を感じると言う場合の概念が、パトスに属します。 スポンサーリンク エトス(エートス)の意味と宗教的な解釈 最後に、エトス(エートス)の意味と概念についてです。 エトス(エートス)については、何度もこのお堂(ブログ)でお伝えしてきておりますね。 また、釈徹宗さんによる大谷大学での講演「真宗とエトス」という表題では、特に詳しくお伝えしておりますが、改めて学びなおしましょう。 エトスの意味を、ATOKの辞書機能を使って調べたら、 :(ある文化などの本質的な)特性、精神、主潮 :(集団・個人の)気質、特質〔芸術〕エトス・エートス と出ました。 ATOKに何度もお世話になりっぱなしです。 エトス(エートス)には、精神や主張、気質という「パトス」と共通する解釈が成される言葉のようです。 説得に用いられる概念やビジネスの場面では、エトスは「(話し手の)人柄」とあります。 人柄だったら「personality(パーソナリティ)」という言葉を用いた方がしっくりくるのですがね。 宗教学的な意味や解釈をするならば、これは私がこのお堂(ブログ)で何度もお伝えしております通り、 「行為様式」という訳があります。 最も是は、比較宗教学がご専門の浄土真宗本願寺派僧侶、釈徹宗さんの受け売りではありますがね。 でも、色々と改めて調べ直したり学びなおしたところ、今のところこの 「行為様式・習慣・習性」という意味が最もしっくりくるので、この意味と解釈に落ち着いております。 それに「エトス(エートス)は行為様式」と意味づけて解釈すると、ロゴスとパトスとの関係性もわかりやすくみえてきます。 その他エトス(エートス)には、 :行動形態、規範、いつもの場所 という意味もあります。 エトス(エートス)にも幾つか意味がありますが、宗教を学ぶ上では「行為様式」という意味や解釈、概念として観るのがわかりやすいであろうと私は感じております。 あくまで私個別の言語的・概念的感覚ではあるのですがね。 「ロゴスは言語、論理」「パトスは情緒、精神性」「エトスは行為様式、習慣、習性」と、私は意味を解釈し、このように頂いております。 ロゴスとパトスとエトス(エートス)のバランスを考える ロゴスとパトスとエトス(エートス)は、宗教を考える場合でもそうですが、この3つ全てを学ぶ事が大切であり、バランスを考える事が大切であると、釈徹宗さんは仰います。 エトスだけがあっても、そのエトスが何を意味しているのか、どのような精神作用があるのかを解説する手段は、ロゴスを磨く事で伝わりやすくなります。 逆に、ロゴスだけがあっても、それに伴うパトスがなかったり、エトスがないと習慣や特性となり得ません。 ゆえに、 ロゴスとパトスとエトス(エートス)は、バランス良く考えて磨いて行くことが大切である、ということには私も賛同しておるところであります。 そして、 この3つをしっかり磨いて行くことが、己の宗教心、また他者の宗教を尊重する事に繋がっていきます。 宗教センスを磨く際には、このロゴス・パトス・エトス(エートス)という概念は、凄く重要であると、私は頂いております。 今回お話し致しましたことは、釈徹宗さんの講演で学んだ事も多々含まれております。 参照: 表題は「真宗とエトス」でしたが、宗教全般の基礎的な部分として捉えて頂ければ、宗教学や宗教心を学ぶ上で理解が深まっていくと思います。 また、これらのことについて文章化された本でしたら、こちらにダイレクトに「ロゴス・パトス・エトス」の項目がありますから、そちらでより具体的に学べます。

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