山口組 射殺。 宅見若頭射殺事件

神戸山口組幹部射殺事件 抗争、金、怨恨など憶測飛び交う(2016年6月7日)|BIGLOBEニュース

山口組 射殺

・五代目。 「」(1984年 - 1989年)、「」(1990年)、「」(1990年)、および「」(1996年)などの各種や、「」(1988年 - 1989年)などに当事者として関与。 1997年にを受けこの世を去った。 来歴 [ ] 6月22日、にてを営む両親の元、姉一人、兄二人、妹一人の三男として出生する。 しかし小学校1年生の時に父が他界し、戦時中でもあり親子6人で母の実家があるのに疎開する。 、母の姉を頼ってに家族で移り住むが、母も中学2年の時に心労で亡くなり宅見勝は叔母方に引き取られる。 中学時代は学力優秀でに進学するが、親切で優しい叔母方での生活だったが居候ゆえの肩身の狭さで気を使うことも多く、高校2年の時に誰にも相談せず中退し叔母方の家を出る。 家を出てからはに出てパチンコ店で働いていたりしたが、18才の時友人の実家を頼ってに引っ越し、やの周辺ののをして働いていた。 この時期に夜の大人の社交場で人心掌握術やを身に付けていく。 またこの頃、近所に住んでいた同い年の女性と恋愛し昭和30年、駆け落ち同然の形で和歌山を離れ二人で大阪へ出る。 に所帯を持った頃、近所に住んでいて憧憬の眼差しで見ていた博徒・土井組系川北組のI幹部と顔見知りとなり、親しくしていくうちに川北組若衆への誘いを受け19才の時ヤクザ社会に踏み入る。 組員となってからは向けの南大阪氷業を開店し大繁盛するも人手が足らず、正業に適しているうえの社会にも向いている人材としての店員に目を向ける。 自らキャバレーのボーイとして働きにいき、眼鏡にかなった人材を宅見グループへスカウトしていく。 その甲斐あってそ川北組内でも宅見グループは大きくなっていき、24才の時には早くも川北組若頭に就任する。 しかしに所属する土井組は抗争などによる警察の集中取り締まりを受け解散。 その後になろうか迷っている時、昭和38年9月、川北組での宅見の大きな働きを知っていた大阪ミナミで最大勢力を誇っていた南道会(会長・藤村唯夫(三代目山口組舎弟))福井組組長・福井英夫から声がかかり再び極道の世界に舞い戻り若衆のを受ける。 3年後には、早くもその実力を認められ福井組若頭補佐となり、翌年にはの利権を獲得する為、を本拠に宅見組を創設した。 山口組 [ ] に福井組若頭の地位に上り詰めたことを機に大阪ミナミのに本拠を移し、そのころ三代目山口組若頭・山本健一(山健組組長)と親しくなった。 1975年の「大阪戦争」では武闘派として活躍するなど貢献が認められ、山本健一の強い推薦によりには三代目山口組組長・田岡一雄から盃をもらい山口組直参に昇格した。 に山本健一が病死。 これをきっかけにが浮上し、宅見は竹中正久を山口組四代目に推すグループに属した。 のちの山口組組長・が若頭に就任した同年、宅見は若頭補佐に就任。 を首領に据えた五代目山口組の発足とともに、山口組若頭に就任。 渡辺による山口組「最高顧問」の新設をはじめ、新人事には宅見の意向が強く反映されていた。 死去 [ ] 、山口組系三次団体の会長(山口組若頭補佐)・が系組員に銃撃され、部下2名が射殺される事件、いわゆる「」が発生。 同日、四代目会津小鉄若頭・ら会津小鉄最高幹部が山口組総本部を訪れ、会津小鉄系組員が中野を襲撃したことを詫びた。 宅見は図越らの謝罪を受け入れ、中野と協議することなく和解。 中野は当事者であった自身を抜きにした宅見の裁定に激しい不満を抱き、両者が激しく対立することとなる。 そして午後3時20分ごろ、が発生し、午後4時32分、搬送先ので死去。 61歳であった。 出典 [ ] []• 『山口組ドキュメント 五代目山口組』、1990年、]の「五代目山口組本家組織図」• 『ヤクザ・レポート』 p. 73 2002年• 『』 2014年9月6日• 『』 2014年9月6日• 『ネオ山口組の野望』<角川文庫>、1994年、 のP. 158•

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六代目山口組系幹部が警察警戒の中で神戸山口組系幹部を銃撃…分裂終結に向けた強い意志か

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1997年8月に発生したの宅見勝若頭の射殺から20年あまり。 平成最後の年を目前にした昨年12月、事件のキーマンとされていた元五代目補佐の中野太郎氏が著書『悲憤』(講談社/中野太郎著、宮崎学監修)で事件の真相を明かしたことが注目されている。 1月22日付記事『宅見勝射殺事件、五代目山口組・渡邉芳則組長の指示だった!21年目の真相告白』では、同事件の裏側について、療養中の中野氏に代わって本書の監修を務めた作家の宮崎学氏に話を聞いた。 今回も、警察の捜査動向や同様に謎が多い八幡事件などについて、引き続き宮崎氏の話をお伝えする。 宮崎学氏(以下、宮崎) まさに理不尽な悲劇ですね。 うまいことを言うなぁと思いました。 『仁義なき戦い』の名セリフにもあるように、ヤクザの仕事とはほぼ「間尺に合わない」のですが、ヒットマンは特にそうですね。 それでも、今もヤクザ社会にしか居場所がない者も多い。 そういうところも、行間から読み取っていただければと思います。 「ヤクザにならざるを得ない者たち」の気持ちについては、宮崎さんは以前から書かれていますよね。 『悲憤』には、中野会のちょっとおもしろいエピソードも書かれていて、が「居場所」であることもうかがえます。 宮崎 特に中野さんは怖いけれど若い衆に慕われていたから、おもしろい話はけっこうあるんです。 時代も、それを許していましたね。 捜査が後手に回っていたのは不思議ですね。 宮崎 そうですね。 事件当日、現場となったホテルの監視カメラにも実行犯の姿が残されていたのに、実行犯の指名手配は半年後でした。 しかも、詐欺など別件での容疑です。 さらに、1人目のは事件から約1年もたってからでした。 また、実行犯は中野会の組員だったにもかかわらず、中野さん自身は逮捕されませんでした。 私は「中野さんを逮捕しろ」と言っているわけではありません。 今は療養中で取り調べも厳しいでしょう。 しかし、別の事件ではトップに責任が及んでいるのに、なぜ逮捕されなかったのか。 これはおかしいと思っています。 たとえば、宅見事件の後に司忍六代目を含む山口組の幹部がボディガードに拳銃を持たせていたことで逮捕、起訴され、六代目は懲役にも行っています。 これについて、宅見事件以降に拳銃所持の取り締まりが厳しくなったという見方がありますが、では八幡事件はどうでしょうか。 宅見事件の約1年前に、の床屋で中野さんが銃撃された事件です。 所持どころか、中野さんの目の前で中野さんのボディガードがヒットマンを射殺しています。 でも、中野さんは逮捕されていません。 ボディガードだけが長い懲役に行きました。 ヒットマンは会津小鉄系の組員でした。 宮崎 そうです。 詳しくは『悲憤』と『ヤクザと2020 巨大利権と暴力の抗争』(徳間書店/宮崎学、竹垣悟)を読んでいただきたいのですが、山口組は田岡一雄三代目時代に京都の会津小鉄と「不可侵条約」のような約束をしていたといわれます。 確かに京都の中心地である旧市街には、表向きは山口組は入ってきていません。 でも、実際には中野さんほか多くの山口組関係者が事務所を構えていました。 ただ、八幡市に中野さんが住むようになると、さすがにトラブルが増えるんですね。 中野会と会津小鉄の若い衆がケンカを繰り返すようになります。 死者も出てしまったことで、会津小鉄としては中野さんを亡き者にしたいというのはあったと思います。 ただ、そうした背景があっても、山口組の二次団体を会津小鉄が襲撃するのは腑に落ちません。 これについては、中野さんが宅見さんの「関与」を感じていました。 ヤクザの世界ですから、私もそれはあるかもしれないと思います。 『悲憤』にも書かれていますが、事件の直後に大阪にいるはずの宅見さんから安否を気遣う電話があったそうです。 現場は京都ですし、中野さん自身も何が起こったのかわからない状況のなかで、なぜ宅見さんは事件を知り、連絡してきたのでしょうか。 こうした「謎」について、中野さんはひとりで考えてこられたのです。 宮崎 書き下ろしも前から準備していて、もっと早く出せればよかったのですが、体調の都合のほかに資料を読み直したりして、時間がかかりました。 以前に書いた『近代ヤクザ肯定論』(筑摩書房)は、私なりにヤクザを歴史的に分析したかったのですが、「難解すぎる」というご指摘も多かったので、『山口組と日本 結成103年の通史から近代を読む』(祥伝社)は時系列でわかりやすくまとめました。 最近の「貧困暴力団」などのテーマについても書いているので、ぜひお読みください。 また、対談は徳間書店の編集者から「暴排を推進している元」の竹垣悟さんと議論してほしいと言われたんです。 私はもともと「反・暴排」なので、白熱しておもしろい議論になりました。 話してみると、竹垣さんの主張もヤクザの世界の嫌な部分をたくさん見てきたからこそですから、それは一理も二理もあるわけですよ。 もちろん、竹垣さんも私の反論に納得してくれるところもあって、あらためて「暴力団とは何か」「暴排とは何か」という議論ができました。 そういう視点から、50年前と今回の東京オリンピックについて話し合ったんです。 まぁ50年前は、竹垣さんは中学生、私は大学生だったので、いずれにしろオリンピックの利権にはあずかれていませんけどね。 宮崎 はい。 中野さん襲撃事件と宅見さん射殺事件も経験されています。 特に中野さん襲撃のときはボディガードとして現場にいたそうで、本書も興味深く読んでいただきました。 対談のときに「中野会長の本を出すなら、いろいろ協力したのに」とも言われましたが、取材をしている頃は知り合いではありませんでしたから。 ただ、竹垣さんは「元暴力団員のくせに暴排とはけしからん」と一部で批判されているため、『悲憤』では竹垣さんの名前を出すのは自粛しています。 たとえば、中野会と横山やすしとの関係などついては、竹垣さんの著書『極道ぶっちゃけ話 「三つの山口組」と私』(イースト・プレス)に詳しく書かれているので、読んでみてください。 宮崎 ありがとうございます。 ひとまず対談本の企画をひとついただいていますが、あとは未定です。 まだまだ書きたいことはあるので、生きているうちはがんばりたいですね。 (構成=編集部) あわせて読みたい•

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六代目山口組vs神戸山口組 闇に包まれた“指示役”の存在|ニフティニュース

山口組 射殺

国内最大の指定暴力団山口組ナンバー2、高山清司若頭(72)が先月中旬に出所して以降、抗争激化が懸念されているなか、射殺事件が発生した。 27日午後、兵庫県尼崎市神田南通の繁華街で、分裂した神戸山口組の幹部が自動小銃で頭、首などを撃たれて死亡。 逮捕された男は山口組関係者とされ、30発近く発射した可能性もあるという。 27日午後5時過ぎ、日が落ちた尼崎にマシンガンの銃声がとどろいた。 兵庫県警によると、撃たれたのは指定暴力団神戸山口組の幹部、三代目古川組の古川恵一総裁(59)。 搬送先の病院で死亡が確認された。 現場から軽乗用車で逃走したとみられる男を同日午後6時過ぎ、京都府警が京都市南区の路上で確保し、自動小銃1丁や拳銃、実弾を所持していたとして銃刀法違反容疑などで現行犯逮捕した。 逮捕されたのは、愛知県江南市の朝比奈久徳容疑者(52)で、山口組関係者とみられる。 犯行現場には実弾の薬きょう10個が見つかり、30発近く発射された可能性があるという。 射殺直前、朝比奈容疑者は、古川幹部と居酒屋で同席していたとの情報もある。 現場は、阪神電鉄尼崎駅の西約500メートルの飲食店やマンションが立ち並ぶ一角。 近くのリサイクル店の男性従業員は「まさかこんなに近くで事件が起きるなんて」と絶句した。

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