オフ コース 眠れ ぬ 夜。 コンプリート・シングル・コレクションCD BOX [完全生産限定盤][CD MAXI]

眠れぬ夜

オフ コース 眠れ ぬ 夜

衰えない人気のヒミツ、西城秀樹の人一倍優れた歌唱力 2018年5月に惜しまれつつ逝去した西城秀樹。 今もファンからの応援の声がやまず、ともすれば健在だった頃よりも熱く支持されているのではないかと思わされるほどだ。 衰えない人気の秘密は、誰もが称賛する実直な人柄はもちろんのこと、人一倍優れた歌唱力によるところが大きいだろう。 人間性の素晴らしさは万人を惹き付ける情熱的な歌声にも表れていた。 さらに「激しい恋」「傷だらけのローラ」といったヒットが並び、初期のヒデキといえばやはりアクションが前面に押し出された絶叫型歌唱のイメージがある。 学生時代から喧嘩っ早く、洋楽ロックが好きだったという経歴もそれに重なるわけだが、一方で静かなバラードやソフトタッチの作品でも抜群の魅力を発揮していたところに優しさの本質が垣間見られるわけで、1980年の暮れに出された「眠れぬ夜」もそんな一枚といえる。 大人路線にシフトした西城秀樹が歌ったオフコース「眠れぬ夜」 6枚ものシングルをリリースした1980年は、1月に出された「悲しき友情」、3月の「愛の園」をヒットさせているが、その前年1979年に「YOUNG MAN(Y. )」を大ヒットさせた後、徐々に曲調が大人路線へとシフトしていた傾向が見られる。 そんな中、通算36枚目のシングルとして12月16日にリリースされた「眠れぬ夜」は意外なカヴァーであった。 オリジナルはオフコース。 ニューミュージックの全盛時代、歌謡曲との融合は珍しくなくなっていたとしても、西城秀樹とオフコースの接点はそれまでに見当たらなかった。 実際、オフコースのコンサートで西城秀樹が「眠れぬ夜」を歌うことになったと発表した際には、客席からブーイングの声が聴こえたという。 オフコースの「眠れぬ夜」はそれより5年前の1975年12月リリース。 アルバム『ワインの匂い』に収録され、同時にシングルも発売された。 小田和正と鈴木康博がふたりで活動していた時代、初のスマッシュヒットを記録し、彼らのライヴでも欠かせないナンバーとなっていただけに、西城がそのカヴァーに挑むのはちょっとした冒険だったはずである。 鮮やかな緩急の使い分け!落ち着いたナンバーからロック路線まで しかしながら、少し抑え気味のヴォーカルと船山基紀によるポップなアレンジが絶妙にマッチして、緻密なハーモニーの本家に引けをとらない名カヴァーが完成。 結果オリコン10位、TBS『ザ・ベストテン』では最高3位のヒットを記録した。 ちなみにシングル盤のジャケットはデザインを新たに刷り直されたBタイプが存在する。 中古市場での出現率から察するに、世に出回っている数はそれほど多くはないだろう。 そしてそれは西城が歌手として円熟を極めていたからこそのローテーションだったはず。 この後のバリー・マニロウとのコラボをはじめ、常に洋楽カヴァーに積極的に挑んでいたのも頷ける。 一度だけでも観てみたかった!小田和正と西城秀樹の共演 「眠れぬ夜」が『ザ・ベストテン』で3位を記録した時、1位は近藤真彦「スニーカーぶる~す」、2位は田原俊彦「恋=Do!」で、たのきん全盛期に新御三家も健在なのが頼もしく思えたことを憶えている。 同時期にオフコースは「時に愛は」をヒットさせていたが、テレビ出演を拒否していたため西城との共演の機会はなかった。 欲を言えば、一度だけでも小田和正と西城秀樹の共演による「眠れぬ夜」を観てみたかったと思うのだ。 2019.

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長いキャリアのアーティストやバンドには、音楽的な転機となったアルバムや曲が存在する。 そこから明らかに何かが変わったという作品ということでいえば、オフコースにとって決定的だったのは1975年12月20日発売のアルバム『ワインの匂い』であり、収録曲として発表されて同時発売のシングルになった「眠れぬ夜」だった。 これがオフコースにとっては、小規模ながらも最初のシングルヒットになった。 転機に重要な役割を果たしたのは、東芝レコードの担当ディレクターになった武藤敏史である。 彼は早稲田大学でアマチュアでバンド活動をしていた頃から、小田和正とはすでに顔見知りの間柄だった。 当時を振り返って「小田、鈴木両氏と死にものぐるいの音楽的格闘をした」と述懐している。 武藤はこのときに5年間の活動を整理して、オフコースに足りなかったものは何かという徹底的に分析した。 そして「無条件に理屈抜きで楽しめる曲やシンプルな曲が少ないのではないか」という結論に至ったのだ。 そこから生まれたのが、アルバムと同時発売となった「眠れぬ夜」である。 小田和正が最初に書いてきた楽曲はバラードだったが、仕上がりは軽やかなポップスになっていた。 それまでのオフコースはどこかとっつきにくくて、少し難しすぎる印象がすると言われてきたが、ここから変わったのである。 「やはり、そうなったのはディレクターのおかげですね。 僕だったらおそらく自分の曲でも『眠れぬ夜』をボツにしていたでしょう。 ディレクターは、それを強引にシングルにして、僕らを説得しました「 小田和正 武藤もまた、このように語っていた。 それまでのオフコースはどうも個性がなかった。 男か女かわからない。 個性もない。 悪く言えば人畜無害だった。 それをもっと個性的に多くの人に聴いてもらえるようにするには、やはりポップスにするしかなかった。 そのためにあえて彼を説得しました」(武藤敏史) 小田は自分の作品ではないような気がして、当初は「あまり好きじゃなかった」と話していた。 それでもオリコンチャートで最高48位と、彼らにしては初めてのヒットになったのである。 とはいえこの段階からしばらくの期間は、まだファンのみぞ知るという楽曲でもあった。 それが幅広い人たちに知られるようになったのは、1980年に西城秀樹がカバーしてシングル・ヒットさせてからのことだ。 そのなかで歌や音楽を受容する感覚について、このように断言している。 音楽の誕生に関していちばん重要な役割を果たしたのは何か、というと、それは実は受容感覚なのね。 表現テクニックじゃなく受容テクニック。 まず音楽を聴く感覚が先行して、その中から今度はそういう物を作る感覚なり技術が生まれる。 確かに同じ歌や音楽を聴いていても、人によって受け取り方は実に千差万別である。 この言葉は音楽をつくる側に身をおく人たちにとって、今でもそのまま当てはまる名言だと思う。 その点において西城秀樹は洋楽も邦楽も含めて、この受容感覚がきわめて優れていただけでなく、努力の積み重ねでその表現に挑んでいった。 代表曲となった「YOUNG MAN Y. 」も、この「眠れぬ夜)もオリジナルを凌ぐヒットになったのは、西城秀樹の非凡なる受容感覚を証明している。 (注)本コラムは2019年11月15日に公開されました。 また相倉久人氏の文章は、「さらなる<出発>~相倉久人」(編・中安亜都子)からの引用しました。

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オフコースの「眠れぬ夜」をカヴァーした西城秀樹~音楽を受容するその非凡なる能力|TAP the SONG|TAP the POP

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衰えない人気のヒミツ、西城秀樹の人一倍優れた歌唱力 2018年5月に惜しまれつつ逝去した西城秀樹。 今もファンからの応援の声がやまず、ともすれば健在だった頃よりも熱く支持されているのではないかと思わされるほどだ。 衰えない人気の秘密は、誰もが称賛する実直な人柄はもちろんのこと、人一倍優れた歌唱力によるところが大きいだろう。 人間性の素晴らしさは万人を惹き付ける情熱的な歌声にも表れていた。 さらに「激しい恋」「傷だらけのローラ」といったヒットが並び、初期のヒデキといえばやはりアクションが前面に押し出された絶叫型歌唱のイメージがある。 学生時代から喧嘩っ早く、洋楽ロックが好きだったという経歴もそれに重なるわけだが、一方で静かなバラードやソフトタッチの作品でも抜群の魅力を発揮していたところに優しさの本質が垣間見られるわけで、1980年の暮れに出された「眠れぬ夜」もそんな一枚といえる。 大人路線にシフトした西城秀樹が歌ったオフコース「眠れぬ夜」 6枚ものシングルをリリースした1980年は、1月に出された「悲しき友情」、3月の「愛の園」をヒットさせているが、その前年1979年に「YOUNG MAN(Y. )」を大ヒットさせた後、徐々に曲調が大人路線へとシフトしていた傾向が見られる。 そんな中、通算36枚目のシングルとして12月16日にリリースされた「眠れぬ夜」は意外なカヴァーであった。 オリジナルはオフコース。 ニューミュージックの全盛時代、歌謡曲との融合は珍しくなくなっていたとしても、西城秀樹とオフコースの接点はそれまでに見当たらなかった。 実際、オフコースのコンサートで西城秀樹が「眠れぬ夜」を歌うことになったと発表した際には、客席からブーイングの声が聴こえたという。 オフコースの「眠れぬ夜」はそれより5年前の1975年12月リリース。 アルバム『ワインの匂い』に収録され、同時にシングルも発売された。 小田和正と鈴木康博がふたりで活動していた時代、初のスマッシュヒットを記録し、彼らのライヴでも欠かせないナンバーとなっていただけに、西城がそのカヴァーに挑むのはちょっとした冒険だったはずである。 鮮やかな緩急の使い分け!落ち着いたナンバーからロック路線まで しかしながら、少し抑え気味のヴォーカルと船山基紀によるポップなアレンジが絶妙にマッチして、緻密なハーモニーの本家に引けをとらない名カヴァーが完成。 結果オリコン10位、TBS『ザ・ベストテン』では最高3位のヒットを記録した。 ちなみにシングル盤のジャケットはデザインを新たに刷り直されたBタイプが存在する。 中古市場での出現率から察するに、世に出回っている数はそれほど多くはないだろう。 そしてそれは西城が歌手として円熟を極めていたからこそのローテーションだったはず。 この後のバリー・マニロウとのコラボをはじめ、常に洋楽カヴァーに積極的に挑んでいたのも頷ける。 一度だけでも観てみたかった!小田和正と西城秀樹の共演 「眠れぬ夜」が『ザ・ベストテン』で3位を記録した時、1位は近藤真彦「スニーカーぶる~す」、2位は田原俊彦「恋=Do!」で、たのきん全盛期に新御三家も健在なのが頼もしく思えたことを憶えている。 同時期にオフコースは「時に愛は」をヒットさせていたが、テレビ出演を拒否していたため西城との共演の機会はなかった。 欲を言えば、一度だけでも小田和正と西城秀樹の共演による「眠れぬ夜」を観てみたかったと思うのだ。 2019.

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